春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

オーノー計画はすべてミス

何度も書いては下書きして、結局新しい下書きを増やすだけを繰り返す毎日ではあります。。

話すことは苦手だけど、話したくないわけじゃなくて、
私はとても話したいから、話すことが下手なのが悔しいと思うし、怖いけど話そう!と思うんだなって気づきました。

みんな笑顔がいいなぁって、笑ってるみんなの顔を見て思って、だから踏みとどまったり決心がついたりするんだなぁと、改めて。


今年はお友達のおめでたい席に出席させてもらえることが多くてうれしい。
年齢的に多いというのもあるけれど、地元じゃない場所でこんな風に関係を築けていたんだなぁって、こういう時に思う。
だからすごいとか、なかったらだめ、とかの話ではなくて、日常から1歩飛び出た時に日常を振り返って御褒美みたいにぽかっとあったかい気持ちをもらえる。


出会いも別れも何回あってもいいんじゃないか?という気持ちと
ただ楽しく一緒に暮らしたいだけなのに…や、
自分が我慢すれば解決する話なのかな?
が、ぐるぐる。してる。
それは、何に対してもそうで…
ならばいっそ、全てから離れて小さな漁港に歩いて行ける場所で暮らしたいなって、
手放す準備をしよう、みたいな。


わざわざ壊す必要なんてない。
入る隙間はない場所にいようとしなくていいんだよなー。
みんなが笑ってるのがいいな。
悲しい顔を自分がつくることはしたくないな。


小さな決断を少しずつ。







そこにわたしはいない

ばばばーって、何かが決まって、何かが進んで…
そこには絶対に自分が必要なはずなのに、置いてきぼりをくらう感覚。に とても敏感になっている。

誰とでも。

近づくことも離れることも、一方的なものはどちらも暴力なのではないか。



乗り越えなければならないものがなにもないのに、全く自由ではなく、世界がどんどん狭くなっていくけど、これは抱きしめれば済む話なのか?抱きしめられれば、この澱んだ空気は流れ出すのか?考えてても全然わかんないや。


もう誰のことも苦しめたくないなぁ。ってだけがどんどん大きくなっていく。


ダイニングテーブルがやっぱり欲しいね。って話をした10日後には、こんな風になっていたり、不思議なものだなぁ。
もちろん、現実は「不思議なものだなぁ。」なんて呑気で穏やかな感情は一切なくて、
後悔なのか、この先の恐怖なのか、どちらとも言えないけど、決して爽やかではない色の渦巻いてるものが身体の中を支配している。

なにを頑張ればいいのかわからなくて、夕飯を作ることだけ変に意識してしまう自分が興味深い。


自由とは、?
優しさとは、?


エスパーでも、マザーテレサでもないので
私は私の優しいと思う優しさしか表現できない。それでも、他者を通して違う表現の優しさを知ることはできる。
感動したり、ホッとしたりして、その優しさも優しさなんだと知って、取り入れたり、自分もそうなりたいと願ったりして。
形はどんどん変わるって思ってる。

例えば、思考や嗜好、個人のすべてを言語とするならば…、
みんなそれぞれ言語を持っていて、話が通じないなと思う時、相手が何語で話してるのか知りたくて。
わからない。は終わりを意味する。
私は会話をしたい。
その時はわからなくても、勉強して、欠片を拾えるようになりたい。

必死で、私はこんな言葉をつかっています。
だから、あなたのも教えて!って言い続けてきた気がする。
でも、もしかしたら、はじめから興味がないのかもしれない。見えていないのかもしれない。聞こえてないのかもしれない。
そうなら、いろいろ合点がいくなぁ。



あぁ、そういえば働きたい場所があったな。行きたいところがあったな。やりたいことがあったんだって、ふと、これからを想像した時に頭をよぎった。
よくある、怪しいセミナーや自己啓発のあれではないけれど、
自分を喜ばせてあげられるのは自分しかいなくて、生かされてはいるけど生きることを決めるのは自分だけなんだって、
脆い精神の刃を持ちながらふらふらで戦いに行こうとする中での唯一の自分であるという感覚。

そうなると、私が居なきゃいけない場所なんてないし、私が絶対必要な人なんていない。
(ただ、君が私も含めた君の未来を想像した時、私は絶対に必要になる)。



いろいろこねくりまわしたけど、タイツを履いてもいい季節がきてうれしい。
パーカーとベレー帽を買ったので、今日のスタジオで着ていこう。
そして、あったかいカフェラテを買って深夜のドライブでもしよう。

そう思うと、1日も楽しいな

小麦粉じゃなく米なら良いか…と煎餅を食べる深夜1時

わかりやすい。
わかりやすくストレスが溜まっていますよーって人になっている。
ずーっと食べてる。
食べることも虚しくなる。
ご飯が作れないのは悲しい、でも、作りたくない。外食ばかりだと身体の負担も大きいしお財布の負担も大きい。


女の人の様々な(特に怒り)の感情の根源は寂しさである。と言う説に大きく頷く。


こんなに頑張ってるのに。って、ほんと嫌いなんだけど、褒められたいって思うことはある。
って思うと、みんなそれぞれのキャパで頑張っていて、いつだって認めてあげたらいいんだよなぁって。
見てほしいとか、話を聞いて欲しい。一瞬でもいいから一番にしてほしいとか。
言葉にしてほしいし、女の子のように扱って欲しい。手を繋いで欲しいとか、そういうのいつまでも持ってていいと思うけど。
だって、普通なんてことにない。当たり前なんてことはない。
どこかで気が変わって、はっといなくなることだってある。
優しくされたい。そして優しくしたい。




って、昨日は思ってて。
今日は同じことを考えてたのに、また違う表現方法になっていたりして、時間を置くのって面白いな、時間を置いてみて損はないな、と実感する。

イラっとしたり、誰かとのやりとりで気分がずとんとやられそうな時は、攻撃的な態度にでない。先にありがとうする。ありがとうと言われることをやる!って決めて動いていたら、ちょっとつかれました。笑
まだまだ、弱い。


さっき何かで読んだ文章で、「自分が元気な時、周りの誰かは崖っぷちかもしれないという意識を持ち続ける」みたいなのがあって、
あぁ、それだ!それそれ!と、全面的に支持する内容でした。
記事自体は仕事をする上での話だったんだけど、まさに自分が1番気になる部分がこれだ!ってストンと落ちた。
私はよく、想像する。って言葉を使うんだけど、それだぁって。

そのやりとりが見えると元気になる。うれしくなる。その人と関わりたいと思う。
私はいつも、そこを大事にしてるのかもしれない。
てことは、その逆はやっぱり逆の感情になるんだなぁ…。



悩んでいるというより、研究しているの方が近い。結果はこうなんじゃないか?の裏付けをするために実験している…感じ。
そしたら、あれよあれよ…様々なパターンが飛び出てきて、「なら、これはどうだ?こちらはっ!??」みたいに毎日を過ごしている。

そして、たまに潰れてもう嫌だー、もしかしてこれは全部必要無いものなんじゃ??みたいな思考になって…まぁ、今これ。

でも、こういうときにさっと居なくなれるくらい身軽でいれたらいいな、と。
私は遠くの誰かを想って息をすることができるので、大丈夫なんじゃないかなって、少し、思う。


なんだか、全体がボヤけている…って思ってたけど、そうじゃなくて、欲しいものやこうしたい!が形として見えてきてるんじゃないかとも思うようになってきた。

研究の結果を1度まとめて新たな研究へ。

9月最後の救世主は松田聖子だった



ホテルや旅館ってお布団1枚しかないけど、ずっとタオルケットや毛布を間に挟んだ状態で過ごして来た身としては、あれがいつになっても落ち着かない。夏場Tシャツを肌着なしで着るのも同じような感覚になる。
(とはいえ、1枚増えるだけで掃除や洗濯がものすごい大変になるのは経験者なのでわかる…!)



クローズアップ現代を見たくてテレビをつけてそのままLIFEとSONGSを見ました。
テレビを長く見ることがここ数年ほとんどないので、なんだか新鮮でそれでいて楽しかった。

松田聖子。最初見た時、「わぁっ!」って顔に違和感感じまくりだったんだけど、話し方とか表情とか、めちゃくちゃかわいかった。どんどんかわいくみえてきて。どんどん惹き込まれる。
あれは魔法なんじゃないか!って思うくらいに、松田聖子は女の子だった。
可憐という言葉もしっくりくるくらいに。


と、ものは試しと買ってみた美顔ローラー的なもので顎をコロコロしながらテレビを見ていました。アレはあれだ、ほんとにテレビ見ながらとかじゃないとできないや。
ローラーをコロコロする時間だけ、はなんだかもったいないけど、本を読んだりスマホをいじったりしながらだとそこまで器用にできないや…ってなってしまって、テレビも悪くないなって。


あー、あー、がむしゃらだけは美しくない。
私はがむしゃらだけだと美しくできないよー。
がむしゃらを美しくできる人に憧れる。

美しい人。美しい人になりたい。
いっぱいいっぱい考える。
考えても無駄かもしれないと思う。
やらないよりやる方がいいなという結論に辿り着く。
いっぱいいっぱい考える。

この人でいいのかな?じゃなくて、この人といたいな!が良い。ほんとそう。

わたしは?できてる?
わたしは?思われてる?


(数日前にしたためた下書きより更新)



次回は宇多田ヒカルの新譜について…!

スパゲティを何十人もで必死に運ぶ蟻を皆殺しにする殺人鬼のおはなし

一言で済んでしまう1日。

なんで働いてるんだろうとぼんやり。


みんなのお給料を上げたくてあれやこれや手を打って頑張るけど、私のお給料を上げようと頑張る人はいないんだなって、ふと、思ったら、なんだろなぁってちょっと虚しく?悲しく?なって。でも、一緒に働いてる人が幸せなのが1番いいなって思うのはほんとで、なんというか、まぁ、今日は朝からバッタバタでイレギュラーなこともたくさんでお客さんはいっぱい来てくれて、ありがてぇ、でも身体がもたない…!のはざまにぎゅーって挟まれてパチンって終わってしまいそうだった。



疲れたとメンタル落ちてるのがうまいこと重なると、ふわっと死んじゃう説にやっぱり一票であります。
なんというか、辛いとは別の。空白ができちゃう感じ。今までも、何度か、「こういう時に飛び込んじゃうのかな…?」って瞬間があって、それを考えてる私は多分絶対死なない人間なんだろうけど、なんつーか、疲れるもんは疲れる。しんどい時はしんどい。
そんなのも結局、権力を持ってる人に見てもらえてないと意味無い。
だから、見てあげたい。私が思う「頑張る」を実践してる人を見続けたいから力を持ちたい。
認める。を形にして渡したい。
私はきっと、私みたいな人を増やしたくないんだと思う。
生きることに悲しいはいらない。
口先だけの楽しいもへらへらした思想もいらん。
もちろん、楽しいことも嬉しいこともいっぱいあって、生きることは辛いことも悲しいこともいっぱいあるのが普通なんだけど、
もっと悲しいや辛いが力になるような暮らし方をして欲しい。
それを自力で頑張れよ。って言うのは余りにもだし、自力で頑張れるくらいのパワーを残してあげたい。
生きるためにすり減らすのは間違ってる。
そうじゃなかった私はすこしだけそうなる方法を知っていると思うから、絶望という名の希望を抱きしめているのだと思います。

お酒を飲みながら話すことなんて後々残らなくていいです。

所詮酒のつまみ。

場所やサービスは作った人の顔が見えなくなるくらいが良いなぁと思っていて、深夜のやりとりを見ながら、やっぱりそうだなぁとなった。


私は彼に自分より経営者だ。とたまに言われるのだけど、たまたま、今興味のあるものがそういう人達だっただけで、それに多分みんな経営者になりたくてなったわけじゃないというか。
自分が生きるためには自分でやるしかなかった。がスタートラインなんじゃないかって思っているから、別にみんな一緒のような気がする。
でも、この、みんな一緒のような気がする気持ちは経営者に向いてないとおもうし、みんな一緒のような気がする気持ちが経営者の考えも持っていると言われるところなのかもしれない。
最近は割とそんなものどうでもいいと思っていて、なるべくなるべくいろんなものを見たいし知りたいなってそればっかり。

個人的に頑張らせることっていうのは比較的簡単だと思っていて、何が目的なのか、が私はやっぱ一番。その瞬間 何を一番にするのかってだけの話なのか。そんなの、まぁ、全てにおいてそうだね。なんか、もう、ほんとうに自分の力以外の力が周りに溢れていて、反省と感謝を繰り返しています。と同時に自分の力も信じること。
ぼーっと静かな場所で暮らしたいなぁとか思ったりして、頭の中で想像して、あぁのんびりだわ。っていう遊びをしています。
……そういえば、仕事も暮らしとよく言うけれど、私は「暮らしも仕事」がしっくりくるなぁと さっき思いました。
暮らしも仕事、の方が重みがでちゃうけど、でも、この方が余計なことを考えなくて私には軽いな。

って、こういうことなのではないかと思う。
あぁ、足りないのはこういうところなのかなって。
意味は一緒でも違う話し方、伝え方だったりすることがあって、だから、最後まで話を聞きたいし、話を聞いて欲しいって思うんだよなぁ。



先日、蒲郡まで娘と仕入れをしながらデート。回転寿司やさんに入って2人でカウンターに座って食べたり、ショッピングモールであーでもないこーでもないと話しながらわいわいした。コンピュータの手相占いでも、当たってる!ってなって可笑しかったな。彼女はとても素直でそれでいてよく周りを見ていて、ドキッとすることがたくさんある。
いろんなことをいっぱい考えているんだよなぁ、考えて決めてるんだなってのがすごくよくわかる。こんな小さな身体で、手とかほんとにちっちゃくて、なのにしっかり人間の手で、触ると泣けてくる。なんというか、地球上で命をかけて守りたい人はこの人だけなんだなって思う。そのコンピューターの手相占いでも、伴侶より子供を大事にします。とあって、自分の感覚に信憑性が高まる夜であった…


と書いたかと思えば朝帰りしたり、いろいろあれです。
なんか、あれです。
どんどん外に出たい!の気持ちと、まだまだ内側にもなにかあるんじゃないか?の気持ち。どっちも見え隠れしちゃう人が好きだな。って、話しながら思いました。
酔っ払いはろくな奴がいないですけど、たまに起こるカオスやミラクルはその人が酔ってない時にやってきたことが出たものなんじゃないかって、、、先輩の隣でベースを弾きながら必死で展開を忘れないようにする若輩者は考えるのであります。



まぁ、うだうだと言ってるけど、完全に風邪をひきました。ちゃんちゃん

摘果みかんを食べながらバケモノの子を見ている

くそ真面目なアレをあれして書き溜めたけど、なんかどうでもよくなってしまったのでお蔵入り。


9月の目まぐるしさがすっごいよ。

事故にもあうし、目も悪いし、お酒飲みすぎるし。一週間ご飯作れなかったし。

でも、眼鏡似合うよって言ってもらえたし、お酒のお陰で強力な助っ人がやってくるし、いっぱい歩いて更に仲良くなれた気がしたし、朝まで飲んでけらけら笑ったりした(寝ずにする仕事は地獄ですが)。昨日はサンマの煮付けを作ったし今日は餃子にした。


正しさは信じるだけにしたいなー。
自分の人生は自分で決めたいなー。
決めたいじゃないか。決めてるのに決めてないと思うことは少し損をしてるような気がするなー。



しかし、摘果みかん、すっぱいけどおいし。
野菜や果物がいつでも手に入って食べられるって幸せだなー。
キャベツの千切りはソースかレモン塩で食べるのが一番!
いっぱいしょうががあるのでスープやご飯に乗せて食べている。
あぁ〜作ることも美味しく食べることもどちらもすきだな。そう思うとやはり和食が好きなのかも知れませぬ。

朝5時に入ったお店で食べたサンマの塩焼きもおいしかったし、朝5時に呼び出して来る彼もすごいと思った。そんで、帰ると言ってるのにコンビニで缶チューハイを買う彼も、なんか、もう、ほんとにすごい。
もうすこし長い間逢いたいから、みんな身体ちょっと労ろうねって思った。
あと、酔っぱらってるときに送ったメールの相手してくれる彼もすごい。ごめん、ありがとうをいつも抱きしめている。