春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

新しいホクロができて、また運命は変わるよ

2017年になりました。実家に来ました。そして、もう帰る道。どちらにも帰ると言えばいいのか、戻ると言えばいいのか、来たって言えばいいのか、、、。
あっという間に慣れるけど、居場所があるわけじゃなくて、でも、こっちで暮らせないわけでもない。
かといって、今暮らしている場所にもしっかり距離を感じてしまう。
不思議だなぁ、おもしろいなぁ。どこに行っても宙ぶらりんで、宙ぶらりんの私としてどう生きていくか、みたいなのをやっぱりずっと考えながら生きるんだなぁって。
私はきっと、どこにも属さないまま死んでいくんじゃないかなぁ。
どうせなら、もっとふわふわしたいなぁ。



一緒にいる人が先にぱたりと寝てしまうと、どれだけ眠くても目が冴えてしまう。
昔はこれが大嫌いで、この時間を優雅なひとり遊びの時間だなんて思えなかった。
なんでひとりなんだろう、嫌だな嫌だなーって。
今はそんなことないけど、ひとりにさせられたみたいな感覚が今もとても怖い。
ぐちゃぐちゃに求められたいとか、愛されたいとか、そばにいたいとか、そういうのもここからきてるんじゃないかなって。

ある時、お腹が痛いと言ってる時にお腹や背中をさすらないね。と指摘されて、
あぁ…そういえば、私は小さい時にそんなことをされた記憶がなかったなぁ。と気づく。
私は「しない」が普通で、彼は「する」のが普通。
相手が寂しいと思うことを知ることによって、私にも新しい寂しさがインプットされる。
やっぱり、自分の中には伝えるというワードがしっかりある。
それがないと、何も無いと同じという、私のこれも環境が作ったものなのかな。



万年筆が手のひらに刺さって、手の中に消えないマークができました。
運命が、また、変わるんじゃないかなって思います。

去年は過去と現在を照らし合わせたり、他人と自分の違いに気づいたり、育ってきた環境による影響がどんなものなのかを掘り下げる作業をずっとずっとしてた気がする。
すこし臆病になったかもしれない。これはやりたいことなんだ、と思い込んでやっていた部分があったかもなぁと、1年の後半の後半でちょっと気づいたりした。
私は私をずーっと探していたなぁ。


寂しさはあるんだけど、少しだけ外に出なくなることにわくわくしてる。きっと、とても寂しく感じることもあって、なんで自分だけって思ったりもして。それは自分で選んだことを信じられなくなる時で。
だからきっと、もう少し小さく生きようとするんじゃないかな。そうしようと思ってる。
まだまだ、全部を受け入れることはできない。優しい気持ちだけ持って笑顔でいることもできない。


でも、もっともっと自分のことを信じたい。
信じてくれる人を裏切りたくない。
悲しみをパワーにしたくない。
仕方ないって諦めたくない。

みんな、心休まる元に帰ればいいのだ。
電車の中、バスロマンと同じ匂いの人がいてとても落ち着かないけど、2017年はそんな感じでいきたいです。

また1年お付き合いを。




帰ったらお墓参りにいこう

静かに、しっかりと狂っていく。

もう伝えることを諦めたい。
これが今までしてきたことの罰なのかな。
疲れたなー
疲れちゃったねー

遠くに行きたいなー




今日は大掃除です。

みかんと氷砂糖を1日1回ひっくり返す毎日

ここ二週間好きなだけ食べて好きなだけ飲んでいたら、きましたきました。胃痛あり。
するすると力が抜けていく感覚。
実はお酒があまり好きではないのかもしれない。いや、好きなんだけど、相性が今いちなのかな…なかなか、昔のように過ごせなくなっている。

それでも、この人とゆっくりお酒を飲みたいなぁという人は何人か居て、わぁぁー!じゃなくてしっとりと過ごしたいなって、身体と相談するとそんな結論に達するのだ。ひとりで飲むのもいいなって。
【身体と相談する】という選択肢があること自体数年前の自分はびっくりだね。
こうやって年を取っていくのかな…
まぁ、でも、好きな人が笑ってるのがいい。そんで、私のことを思い出してくれたりするとただただうれしい。それだけなような気もする。お酒こそ、楽しいしかいらないので、楽しくないなら飲む必要もないなと、我慢出来ていく自分に少しの寂しさを覚えながら過ごしている。


ゆっくりゆっくり、話しながら整理していることが多くて、話して自分を知ることがたくさんある。昔より、話すようになったのかなぁ、なんだろ。話すのが苦手だから話したくない…(と、打ちながら苦手だからじゃないな…、私と話しても相手がたのしくないだろうな…と思うから2人で遊ぶとか女の子とも男の子とも怖くてしてなかったんだ!と。自分なんかが…って奥底にあるんだなー)と思ったり今もするけど、ゆっくりを許してくれるなら話したいなぁと思うことが多くなった。考えると知ることって違うんだなぁと、ここにきて。
あと、想像するより、みんなずっとやさしい。



前回のブログを書いて、それと同時に生活にも変化が起きて、それをどう受け止めればいいのかわからない自分がいて…。となると、これからは「素直にならないことが罪」みたいな新しい悪を意識することになるんじゃないかと思った。優しくされることにまったく慣れていないことが、悪になるんじゃないかと。
愛し合いたいと書いてみて、愛し合うとはどういう状況なんだろう?と。

ひとつずつを掬って覗いて観察してまた元の場所に戻す作業を繰り返している。


「まさか、自分がこんなに疑問を持つようになるとは思わなかった…」
「やっぱり、自分には難しいよなぁ…」
未来を描く人と未来を作る人は違うなぁと考える私は、卑屈になることも蔑むこともなくていいと思うのに、とっても卑屈になってる自分がいるのがまだまだだなぁ。
私は完全に未来を作る人だ。描く人にとても憧れがあるけど、作る人がいないと未来は作れないし、描く人はもっと好きなように描いて欲しい。縦に切ると横に切るだと、役割が変わってきて、もしかしたらこの場所は横の方がいいのかもしれないなと、もうすこしいろいろできそうだなと、今日話していて思って。
でも、その違和感があることでいろいろしたいの反面、この場所には居られないんじゃないかがあって。自分がこだわってるのはなんなんだろうか…と、ループにハマったところに駅ビルの中におしゃれにつくられたお店を見て、
「あぁー、この店がここに入るんだ」
とちょっぴりの羨ましさを持ちながら、自分には何が出来るんだろう…を考える。
会社の規模は?お金の使い方は?企業とは?
私達の目的とは?
もっともっとやらなきゃ、もっともっとつくりたい。
仕事が生きるになっているじゃないか。私も十分そうだよ。

なんか、言い聞かせちゃう。


普通は自分で作るしかないよね。
私の普通。


映画をみるのと同じように、ケーキを作る動画を見れてしまう。美しいなぁ。美しい!
ゴム手袋に腕時計をしているのがグッとくる!って言っても誰にもわかってもらえないんだけど、好きになるポイントってそういうところだよね。
その人のことを知れてよかった。
私は行きたい場所が増えたし、逢いたい人が増えたので。
こうやって、まだまだ夢のような感覚を持ちながら生きているのは幸せなのか不幸なのかわからないけど、刺激をいろんなものから受け取れる人間である、という点においては良いことしかないんじゃないかな。ふふん、へへん。



なので、今日はケーキを作ろう。ひっさしぶりにスポンジを焼いてみる。


何が欲しいのかわかっているのだ



先週は忙しかったなぁ。
と思っていたらもう今週もおわり。何ができてるんだろ?何か残したい…!と考えながら12月を駆け足で進んでる。
なんだか、どんどん今年を終わらせている感覚。



文字だけで全てがわかるなら、いいな。
わからないから、触りたいな。
求める作業も求められる作業も、目が合って照れたり髪の毛をなでたり、そんなのは「女の子」の時に終わらせておくべきだった。
(ストッキングを素敵に履きこなす10の法則、プロローグより)


愛されたい。優しくされたい。
1番にして欲しい、とか、求められたい、とか。
ひとりでいるより、ふたりでいて孤独を感じる方が嫌だ。とか。
あー、それだったんだ。私はただただ愛されたいのだ。許して欲しいんだ。

本当は、それは親に対する気持ちだったんじゃない?と言われてもピンと来なかったけど、私の帰省に対するネガティブさや、家系にまつわるあれこれを思い出すといろいろ辻褄が合ってしまう。無意識の中の意識。ないがある。
私の生き方を彼に話した時も、そんなにびっくりするんだ?とこちらがびっくりしたくらいなので、きっと彼と私の家庭環境はかすりもしないくらい違うのかもしれない。
確かに、私はいつも彼と彼の家族に逢うと、家族だなぁと思う。「これが家族か…」って。
あたたかくもあるし、強烈に他人だ、とも思う。
何も出来ない自分に苦しくなったりする。

こんな歳で子供もいて、それでも全然解消出来ない部分が、考えれば考えるほどこだわりとして大きくなっていって、自分でバカみたいに不安を作り出しているんだけど、どうしようもないのだ。苦しいし。
認めてほしいし、安心したい。
急にいなくなったりしないでほしい。
自分だけをどろどろぐちゃぐちゃでいいから愛して欲しいと思っているのかもしれない。
それは、今、目の前にいる人じゃなくてもいいのかもしれないなって、話しながら思った。
そういう人がいたら、きっとその人だけでいいし、いないなら分散させて自分を保とうと思っていて、やっぱりそうなると倫理的におかしいよね、契約的にそれは違うよねって話になってくる。
そもそも、自分が愛してあげられればなんにも問題ないんだけど……。
あー、、、ここで子宮と会話するとか、自己肯定感の押し売りとか、そういうものに近くなるんだ…!とはた気づく。
なるほど。


新しい生き方なんてない。ただ、何を選ぶかだけなのに、、新しい形を探してばかりいて、ほんと、やれることをやるだけなのに、アカルイミライを想像しようとしてしまう。
わかった風で全然わかってない。じゃぁ、どうすればってところまで、全然いけてない。

でも、自分で選べるってことは知ってる。
選べる場所にいるし、自分が選んでいる。という自覚だけはある。
だから、もうすこしだーって思って、逃げないで考えてみる。



ただ、でも、やっぱり、愛し合いたいな。

セーターデビューした日は安ダッフルデビューの日

12月になってしまった。

冬物を完全衣替えしようと衣装ケースを開けたら思いのほかセーターとカーディガンがたくさんあって、あわあわ。
広げることもできずまた元の場所へ戻して、とりあえず取り出しやすいところへ衣装ケース入れ替え。
なのに更にセーターを、あとダッフルを入手。ずっとシンプルとか大人とかを意識してたのに、なんか…目指せ20代!みたいになってしまった…
そして、冬といえばプリーツスカート。プリーツスカート一択で過ごしたいくらいなのだけど、洗濯するにもした後もお手入れにちょっと手間がかかるので、夏よりもすこし多くの余裕を作らなければならないのが寒さと相まって 好きなのに嫌い…起きたいのに起きられない、触りたいのにこわい、みたいな…なんか宇多田ヒカルみたいな感じ。。あぁ、サンタさん!良いアイロンがほしいよ…それか、ミシン…!




30歳から生きるとは?を考え出すのはめちゃくちゃやばいと言っていたけど、ずっぽり私も30代で生きるとは?にハマってしまったひとりであります。特に今年。御年34歳。
ほんとうに試行錯誤だし、トライアンドエラーだし、一気にうまくいくことなんてないし、それでもやらなくちゃだし。
なんか、もうさ、そうでしかない!ってなった。




強烈に女でいたいのに女性に対してとてつもない嫌悪感も持っている。
男の人と対等でいたいと思う反面、圧倒的な差を見せつけて欲しいとも思っている。
誰のものにもなりたくないのに、誰かに支配されてみたいもある。
絶対に平等ではない。ゼロイチ思考とはまた別の(と思いたい)極端な脳みそ。


影響されてなのか、大きな流れがそうなのか、どちらにせよ、今の自分がまたすこし明確になったような、見方を変えたようなそんな感じ。
ひとつずつ、こうならいいなぁを形にして、それを誰もが使えるようになる。する。
誰も敵ではない。そうなのにな。


四井さんと家入さんの話をこの数日間の間に聞けてよかった。
地方創生も故郷も同じだな。
真逆の場所にいても同じものを作ることはできるんじゃないかな。
生きることを想像している人がすきだ。
そして、それを実践している人。




ウイスキーに紅茶のリキュール入れたののんでいる。ロックで。
ぺろっとなめて、とろんと甘い。


やっぱり冬は円グラフのイメージだなぁ

ほらほら、って 簡単に見せているだけ

自分に音楽をやらないという選択肢が増えたことにびっくりしている。


触らないと確かめないとどんどん薄くなってしまう。
そのスピードが、前よりも早い気がする。






生活とは。





AM5:26(何日か前の)

毎日キャベツを食べている。
今日はお昼も夜も。見る人からすれば、それを食べるくらいなら食べない方がマシとされるカット野菜。キャベツはバストアップに良いと言われているので期待です(体重よ減ろ)

どこにいればいいのかわからなくなり闇雲ドライブしていた何週間か前と、しかし、日々の仕事のハードさで身体が動かなくなりそれさえできずにどうしようと思っていたらひたすら眠ってしまう。という毎日がやってきて、
眠れない…から→眠すぎる…なんて、なんて、極端なんだろうって。ぽつり。
それでも仕事はよくやった。いや、やっている。
仕事のことはほんとうにいろんなことがあるし、気持ちの変化も感覚もがらりと心機一転した気分なので、別で残しておきたいな。


ここ1.2ヵ月は昔好きだったものや、昔から好きだったものがぐっと近づいた日々で、再確認する。みたいな状態が続いている。
「やっぱり好きだった」や「好きでよかった」は自分の生きてきた時間がなんだか認められたみたいで(というか、自分の中の安心感か?)、
私というぐにゃぐにゃで曲げても折れない信念みたいなものがはじめて折れそうになって、私がおかしいのかも?と考え続ける時間の中のほそーい光の糸みたいだった。
無意識の中の意識が、そうさせているのかも。
そうじゃないと私は生きていなかったかもしれない。


人生は短いな、と いつも思う。
80年生きたとしても、自分が80才になった時、楽しく生きる才能がないような気がする。
今なら、っていつの瞬間も思っていて、それは今なら生きれる…みたいなそういうもので。
今なら楽しめるし今なら考えられる、今ならひとりでやれる。
だから、今やろう…!みたいな……。
誰かのリズムだと死んでしまう、そんなような感覚。

だからか、誰かの時間を自分の時間に当てはめてはいけないな、とすごく思うし、そうしているのではないか?と考えると とても怖い。そうなら誰とも一緒に居られないのではないかな?って、どんなに平穏を保ってもどんなに楽しそうにしても、「もう壊れている」が頭から離れないでいる。
壊し続けることしかできないのか?
これは本当に壊れているのか?
取り繕うことから生まれる平和はあるのか?
愛とはなんだろうか?
触れられたくない人と触れて欲しい人。
一時期の感情なのか、それとももう迷いもなくなってしまったのか。
 


昔のことが一気に押し寄せてきた。と書いたけれど、そういう時、自分の中で変化が起こる時に多いなと思う。
最近の心境の変化ってなんだろうな…って考えてみたら、いやいやとってもおおきいのがありましたわ。

こういうことをスムーズに出来る人に憧れる。
自然と年を取れる人に憧れる。

なんて不器用なんだ。そして、それを愛しきれないでもいる。
なんて不器用なんだ。愛とはなんだろうか。

私はどうしたいんだろう。