ポテトチップスの季節がやってまいりました。
先日、スーパーレジ前の一番良いところにアラポテトが並んでいるのを発見したことをお知らせ致します。
茶色!ネイビー!の服!首の詰まったお洋服!!秋!秋にした!テンションあがる!爪もチョコレート!カーキ!秋仕様!
セールでこれから使えるジャケットも買ったし良き休日だった。
離れることを決めた人たち、あたらしい命と共に生きる人たち。聞いた瞬間やっぱりざわざわする。私ができてないことをやってる人たち。
子どもが欲しいと思ってみたかった、みたいなよくわかんない感覚になる。ざわざわする。
一瞬だけね。一瞬だけ。
遠くのものに想いを寄せたり過去を大事にしていたり、それをパワーにできてるしそれで幸せじゃん、幸せなんだからいいじゃん、って思っていたけど、それによる歪みは絶対に生まれているのかもなぁ。そうじゃない人には理解できない。大事にしながら未来を見ていたつもりだったけど、そうじゃない人にとっては過去は過去だったりして。
否定された気分になることがなんか多いなぁって思ってたのは理解できないから故の発言だったりするのかも。それを否定と捉えてしまっているのはこちらなのだ。
なんて、こんな風な置き換えや視点を変えて誰も悪くなくするやり方すらもうやりたくないのが正直なところだったりする。
私は自分がとってもポジティブだと思っているのだけど、一般的な話の中に入るととてもネガティヴで、でもそのポジとかネガとか判断したりされたりすることが嫌だ。
みんな光を持って生きようとしてるんじゃないのかなって、それでいいじゃん…って。で、これこそが判断することを否定してて、あー、私もおんなじじゃん。判断してるじゃんって自己嫌悪になったりする。
私自身を認めてもらえてない反動だったりするのかも。見ている場所が違うことや、関係性が一ミリでも縦ラインに向いたとき動き方ががらっとかわること。
そういうのを遠くの誰かや何かでまかなっていた。ただ、それだけのこと。それのズレ。解決の焦点。存在のこだわり。描いている未来をただ伝えあったって、相手が一緒にいる未来が描けてないものなんて伝わらないよなー。なんて妙に納得したりした。自分以外の人生での自分はおまけでしかないから、そこに力を入れる必要もない。みんな、そう。あなたもわたしもおたがいさま
涼しくなって毛布をかけて眠れることもうれしいこと。眠る準備を意識したら辛さはちょっと減ったかも!
あー、それでも私
はえこひいき万歳の精神で生きている。だからこそ、全員と友達になったら全員えこひいきできるのに!みたいな変なことも考える。潔癖なところあるんだと思う。人付き合いに対して変なこだわりがある。そんなのくそくらえでしょって、知らない人には言われたくないもん。でも、好きな人に言われたらそうだよなぁってなるんだよね。だから、好きな人のことがもっと好きになる仕組み。
世間ではこれを宗教と呼ぶのかもしれません。