春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

冷たいチャーハンを食べながらインターネットと向き合う日曜日

読みたい本が増えてきた。メモメモメモ。まだ読みきれてないものもあるけど、なんとなく共通点があったりする(しそう)ので同時進行もおもしろい。とりあえず手元に置きたい。

そういえば國分さんの本も欲しかった方はまだ買っていないんだった。

字の大きさや行間もその人を想像する一つだな、と思うんですが、ネット上で見るときにスマホとPCからだと見え方が変わったり、携帯の種類によって違ったりするので、私は本や手紙が好きです。それでしかない、内容や完成度は別としての完成形が「ある」という状態が好き。

 

あとはゴリゴリの小説も読みたいな。小説はとびきり切ないやつが好きです。

 

結局、二人を送っておうちで残り物のチャーハンを食べながら欲しかった製菓の材料をポチポチしてる。あとレターセットもひっぱりだす。

やりたいことが増えるとそれに必要な準備も増えるのでスリム化。良いミキサーをね、とうとう購入しようかと思っていますよ…!

これを使い切って使いこなしていろんな食べたいもの食べてみたいものを作って世に出すところまで想像するととても興奮する。変な癖。

 

 

 

ワントーン明るいアイブロウに前髪は巻き過ぎないことでだいぶよくなった。アイシャドーの色も落ち着いているけどしっかりと。

そんなことを思っているうちに眠気もしっかりとやってまいりました。おやすみおはようこんにちは。こんな時間におうちにいることもないので日差しを贅沢に味わうぞ。

まったく釣りをしない人が釣り具屋さんに入った記念日

あたたかいおそばが身体に染み込む季節ですね(こうなったら冬感をどんどん出していくパターン)

 

 

週の最終日にお客さんがたくさん来てくれると終わらせたー!の達成感が大きくて嬉しい。ランチ中は一分一秒の戦いみたいなところがあるので終わってからの脱力がアスリートか?ってことがちょこちょこなんですが、今日もよく動きました。

パズルみたい。ピースを選んではめて完成させてく感覚。作業を選んで隙間隙間に差し込み、業務を終わらせる。

この動き方が自分はとてもわくわくして楽しい。ちょっと追い込むくらいが好き。

 

 

今日はなんだか感情が爆発してしまい運転しながらわんわんと泣いた。みんなこんな風になった時どう処理しているのかな。誰かに話したり会ったりお酒を飲んだりしてうまいことやっているのかな。好きな人に好きって言えないことってこんなに苦しくなるのかよーなんて、エゴに塗れた頭で思って、でも自分で招いたことだーどうしてこうかって。あー大好き!あー大好きだー!ってわんわんと泣いた!ある人が言っていた、大事は好きってこと、もちょっとわかったような気がした。

周りからすればただのヒステリーなんだけど、私にとって泣くことは次に進むための一歩みたいなところがあるので泣いた後変に冷静になってしまう。「泣けたー!」と「なにやってんの」と「ほんとはどんなことを思っているの?」をなんとなく見つめ直せる。泣くまではエゴの塊も塊過ぎるんだけど、泣けるとその殻がぴきぴきと割れてくる感じ(そしてその中からはエゴの塊のたまごちゃんが生まれる…!!!?!)

 

………ねー、一皮ずつ剥けてると信じたいところです

 

 

 

 

好きなものに囲まれていたいんじゃなくて、好きなものに好きって言えて、大事にしたいものを不器用ながら大事にできていると思える状態を幸福と思うのかもしれない。

好きな人に好きって言えることや大事なものを大事にできる環境を「好きなものに囲まれている」状態と呼ぶのかもしれないけど。

なんかやっぱ足りないのかな。おかしいのかな、未熟だからなのかなぁってつい自分のこと責めたくなっちゃう。それが一番簡単で楽。苦しいのがとても苦手なのでそのつど小さな結論をだしたいタイプなんだけど、苦しさを味わったり、これは時間がかかるものだよって思えるようにね。訓練なのかもなぁ。愛したいは愛されたいだし、愛されたいは愛したいだ。ほんとそう。まずは自分と愛し愛されじゃないとな。

 

 

 

明日はめずらしくひとり日曜日。なにしよう。映画でも見に行こうかじっくり買い物しようか、ひとりドライブもいいし昼間っからお酒を飲む散歩もいいな。

好きな人達には笑っていて欲しい。できればその瞬間たまに立ち会いたいけど、元気で生きていてくれたらそれが一番。そう思える人たちがいろんな場所にいることが幸せだったりする。信じる。祈る。

 

 

祈るは信じる。人生は続く(拝借)

考える。を整理する。

とうとう冬がやって来たって何回も言ってしまう人の日記のようなもの

今日はものすんごく寒い日でしたね。ですよね。いやぁー、今日は冬だった。今、やっと手のひらがあったかくなってきたところ。建物の中も外も寒いので逃げ場のない季節がちょっとの間続くのだ。メガネをしてマフラーを巻くとメガネが曇っちゃうことを初めて知った!あるある?

 

暑いのと寒いのどっちが苦手?と聞かれたら即答で寒いのが!苦手!と答える私なのですが、今年はいつもに増してひどそうなのです。何より末端の冷えが既に……どこかのタイミングで本格的に体質改善に取り組まなくてはならないなぁ。なんてぼんやり思いながらチョコレートをお口にぽいっとしてしまう。どこかのタイミングで…なんて言ってる時点で全然危機感無いのがおわかりでありましょう。ね。

 

 

 髪の色が結果的に一段暗くなったのだけど、朝してたメイクになんだか違和感あり。ちょっと変わるだけで似合うものが変わってしまうのはこの年齢だからじゃないかなーって、身を以て実感。前髪を更にカットしたのでなんか野暮ったさが二割り増し……になったような?あれ、これ似合ってないのかな?メイクの違和感も前髪のせいなんじゃ…?あれ?なんか、うん…。となっているけど、誰かに髪の毛を洗ってもらうって美容院でしかやってもらえないので贅沢な気分になれるよね。

誰かに何かをしてもらうって、救われることばっかりだなーって。

 

 

 

育ってきた環境で人格が作られる。

だから、絶対諦めたくない。

この瞬間、あの瞬間、周りのいろんな人に諦められてきたけど、私だけは私のこと諦めちゃだめだって思ってる。 

 

 したいことないって言っちゃうけど、したいことは暮らしだ。だから絶対言わないし、それ以外は全部ぜーんぶおんなじように楽しい。

そう思うと やってみたいことはいっぱいあるのかー。同じように楽しいからなにしても良くて、だから これ!って言えずになんにもないって言ってたけど違ったなー。いっぱいあった。

そうなんだ、暮らしは私だ。今あるもの全部ひっくるめて暮らしで、それが私だ。

だから、したいことってのも変な話で、私でいたいってことなのかな?

あとは好きなものに好きだと伝えられないことでブスにならないようにしたい。

いろんな方法を持っていたい。

 

 

 

会社に三人も妊婦さんがいて、この状態って多分普通じゃないけど、ここでは普通で、なんかすごい。すごいしか感想が出てこない。

春は忙しくなるなぁーどんな風にしようかなーって他人事みたいに自分のことを考えてる。すこし考えることから逃げてるんだと思うけど、やらなきゃないことは絶対やらなきゃないし、やりたくないことは逃げ道を探せるだけ探してどうせもがくので、焦るは無駄。

そう、焦るは無駄ですよ!と、焦るのが趣味な私は私に言い聞かせるのです。

 

 

今日はおでんでした。まとまりないけどいいかな。さて、スタジオに行く。

 

 

 

80デニール更にソックスおまけにレッグウォーマーのおばあさん

ひとりで駐車券の出るタイプの駐車場を利用する時はとてもとても意識している。今日だって、とてもとても気をつけていた。買い物するからおサイフに入れなくては!と思いながら券を取ったはずなのに、次に車に乗った時(帰る時ね) どこをどう探してもないとはどういうことなのだ?記憶を辿っても全然思い出せない。券を取ったところまでは鮮明に思い出せるのに。

気をつけていたのにだめだった、って時が一番落ち込むので、「神隠しかな?」と何度も何度も言い聞かせている。

神隠しだね!」

「うん!」

 

 

 

車でくらいしか音楽を聴かないのだけど、ラッドウィンプスを初めてに近い形でよく聴いています、最近。野田さんは(野田さんの描く男の子は)とってもめんどくさくてとってもかわいい男の子ですね。不覚にも偶然流れてきてぐっときてしまった。

実際にいたら…多分……とっても………めんどくさくなると思うんだけど……絶対うるせーよってなると思うんだけど……100%うざいってなるとおもうんですけど……。女々しさって愛しいね。女々しさを愛しいと言えてしまう私も十分こじらせながら大人になってしまったのであれですが(こじらせるって、プラスの言い方すぎるけれども)、めんどくさくてかわいい人が大好きだ。

 

 

今日は天気がいいけど一週間前よりぐんと寒い。おんなじスカートだけどシャツの中にヒートテックを着込んで出かけて、さっき帰ってきたところ。

干物を買いに出ただけなのになんやかんやで夜になっちゃった。山はまだまだ紅葉がキレイで、あーうれしいな、あーうれしいな、って。

そういえば、札幌に住んでいた頃 妹のアパートまで車で二時間くらいだったのでたまに遊びに行ってたんだけど、秋の良い時期に通った支笏湖の周りの紅葉がもしかしたら今まで見た中で一番好きな紅葉だったかもしれない。

生活のある瞬間に心の霧がぱっと晴れる時があって、あの感じに救われながら生きているんだけど、その時もまさにそれでした。

思い出はだいたい美化されるのでもしかしたら全部私の脳内での出来事かもしれませんが…

 

 

そういえば、って思い出しながらポツリぽつり。たくさん許してもらっていたな。たくさん許してもいた。でも、許せないことなんてなかったー。どれも愛しい過去に出来ちゃう私は幸せ者だし悲しい生き方なのかもしれないけど、めんどくさいのが好きな私はさー、なんかなんか、いいよいいよって思っちゃうんだなー。

好きな人のことはずっと好きだから、いつかまた逢えたらいいなーって、生きたい。いつだってそうだった。ぜーんぶぜーんぶ。

これが、私のだめなところでもあるんですけど。

 

 

坂爪さんのブログも久しぶりに読んだ。

後ろの後ろの後ろのラインだけ決めてもがきまくるあの感じがやっぱりかわいい。

(めんどくさいもかわいいだと思う、やっぱり!) 

 

 

 

そういえば 運転していて思ったんだけど、太陽が後ろから照らしてくれている時の安心感と嬉しさと美しさったらないね。世界がぴかぴか。

あーー、そういえば、の時間も愛しい時間だな。がんばったりがんばってくれた証だと思ってる。

 

 

メロンパン、冷奴、もやしのナムル、フランスパンちょっと、かぼちゃコロッケ、チョコレート、炭酸水。どーーーーん、これが今日の夜ご飯よ!ごきげんよう

 

実感を食べながら生きている

日曜は娘とデートでした。二人で行き先を決めて食べたいものを相談してあれやこれや。

多分、周りの同じ歳の子よりも親に振り回されてるタイプの子供なのでとても大人びたことを言ったりするし、想像なのか、分析なのか判断なのか…予想するということをしっかりする子だなってびっくりすることが多い。

そんな感じなので、普段あまり子供だって思わず接しているのだけど、情報量が多すぎて全く選べなくなったりしている姿をたまに見ると、

「あ、そうだった。まだ6歳なんだった。この中から選ぶとか、本当に欲しいものとかわかんないよな」とこちらもハッとする。

(フライングタイガーで鉛筆何本か選ぶのも紙ナプキンや欲しいおもちゃなど言われるがままになりそうだったのがかわいかった)

 

 古本屋さんで各自本を選んだり、お茶屋さんでソフトクリームを買ったり、荷物を持ってもらったり、この人はどんどん頼もしくなるなぁっと。全部娘だけの時間じゃなくて、全部私だけの時間じゃなくて、そういうのが心地良いなぁと思った。大人との関係もおんなじだなぁ。

 

まだまだ毎日いろんなことを考えるね。すんごい量の大事なこともくだらないことも楽しみなことも悲しいに染まりにいくこともあるね。

私はいろんな人のおかあさんだし、いろんな人の子供でもあるのかもな。

 

 

 

何冊かインテリアやキッチンの使い方の本を買ったら見事に全部壁が白い!

我が家の昭和をそのまま使ってるひとはいないのかね…?やっぱ無理なの…?

と弱気モードになったけれど、押入れの使い方や調理器具のしまいかたなど参考になる。うん、なるなる。間取りが特殊でまじで古い家なので必然的に大事に使うことになっているこの家だけど手をかければかけるほど居やすくなっているのを今更ながら実感している。

改善の余地あり。次は押入れ。

 

 

 美しいと頼もしい

美しいと頼もしい

美しいと頼もしい

 

 

よし、大事に持ったぞ。

 

 

 

 

 

 

ピーナッツ食べると吹き出物が…っていうベタな展開を現実世界で展開している人の日記のようなもの

気を抜くと食べ物の話ばかりになってしまうのは本当に毎日ずーっと食べているからであります。

ウォーキング(軽め)と筋トレ(超軽め)が首の皮一枚つながっているのでなんとかぶくぶく太るのを阻止できている感じ(3日休むと阻止できない)。むしろ太らないのでずっと食べてしまう(3日休むと太る)。なんでや!なんで、痩せたいって口癖のように言ってるのにキープしようとしてるんじゃ!それを辞めたらするする行くはずだぞこのやろー(ほんとうに!)とたまに強い気持ちが出てきてくれるんだけど、この意志の弱さたるや。

太ってないんだからいいじゃん、むしろちょっと筋肉付いてきてるわ!っていう無駄な自分VS自分の戦いよ(丸3日休むとくるよ…きてるたるみ)

 

しかし、内臓脂肪でしっかり蓄積されている気もする(丸3日休むと外側もくる)。

ということで食べまくって三日間ただの生活すると影響あることが証明されました。

あとおでこの吹き出物やばい(これはピーナッツの食べ過ぎ)。吹き出物を潰さずに治したことがない で有名な私なんですけど、こうもいい大人になりますとまじで触っちゃだめね(今日剥がしてしまった)(なんか陥没しててこわかった)

 

吹き出物は絶対に触ってはいけません(35歳  既婚女性)

 

 

 

 なんとかご機嫌にしていたのに朝シンクの中の洗い物を見たらスイッチが。責めているつもりはなかったけど愚痴や嘆きは攻撃とみなされる。反省もしたけど話の噛み合わなさにダメージを受ける。

オープンギリギリにお店について お店についたらホッとして泣けてしまった。

 

「不安定が爆発して遅くなりました」

「全然大丈夫ですよ」

「すごい元気なんですけど泣きながら作業していいですか」

「少しでもすっきりできるなら、私もよくわぁーっとなります」

 

 

一年くらい前まで、私はお店に行くのがつらかった。家の中もつらくてお店もつらくてまさに八方ふさがり状態で。仕事は好きなのにどうしても力が入らなくてふらふらしていて、そんな日が毎日続いて本当にきつかった。それでも一年経って、ホッとする場所になっているんだなぁと あんなに取り乱して運転して来たのに不思議な気分だった。スタッフさんは聞き下手でごめんなさいって言ったけど、そもそも私は一切話さないタイプなのだ。

泣きながら作業させてくれるだけで、

それを言えてるだけで、

私にとってはどんなに救われているか。

完全に一緒に働いてくれてる人達のおかげだし、伝える訓練に付き合ってくれた人のおかげ。

 

…そのあとはうれしいことばっかりだった。

お客さんが東京のお友達を連れてきてくれたり(話してみると向こうでここの噂を聞いて来てくれたらしい)、ランチタイムにブラジルのスタッフさんが洗い物に入ってくれたときの会話とか。別のスタッフさんが空スペースに棚を作ってくれたりとか。みんな優しいな。みんなただいるだけでもお給料払えるくらいになりたいよ。

私は完全にそういう理由でもっと稼ぎたい。

もっともっと私に関わる人のことえこひいきしたい。人を憎んでその場所も憎んでたけど、今は場所は愛せているのかもなって。

 

仕事の仕方も家族のあり方も自分の生き方も、ここにいることできっとすごく変わったと思う。仕事さえできればよしとしていた部分が多かったし、家族って家族で成立させるべきいろんなことがもっとあると思っていた。

こんなに生きづらいとも思わなかった。

長く共に暮らしていた相手のことも全然知らなかったって思い知った。

多文化多世代共生とか、頭で考えて話している人達より、そんなこと別に考えてもなくて、そこにいなくてもいいと思っていた人が違う国籍の人達や障がいと呼ばれるものを持っている自覚のある人達、いきなり裏口から入ってくるおじいちゃんと 話したり一緒に仕事しながら思って変わっていった自分を割と確かなものとしてる。自信と疑問の間を行ったり来たりしながら未来を見ている。

私はなるべく早く進めたい。思ったことは絶対にやりたい。自分の人生を自分で決めるための研究をするのは当たり前だと思っていた。

でも、そんなことないんだなって彼と話すと思う。

どちらが良い悪いの話ではないんですが、

彼は研究する必要がなかったんじゃないかな。

私は研究しながらじゃないと生きてこれなかった。環境が違っただけ。

 

ただ、環境の違いで生まれた思考の違いを「あなたのそれは苦しい生きかたなんじゃないか?」と言うことによって良い悪いにしちゃうんじゃないかなー。偽物も本人が本物と思うならそれは本物だし、安いものだって思い入れがあれば宝物だし、あなたのそれっぽっちはわたしの救いだ。

そうやって、デコボコ凹凸パズルのようにハマる瞬間を見つけられてそれを喜びと思うんじゃないのかな?

 

アメーバみたいな世界と小さい細かい無数のパズルの世界。

 

 

はーーー!まとまらないけど一日でとてもいろんな感情になった。こうやって生きてる自分が結構好きだ。大きい金額のお金は生み出せないかもしれないけど、私は私の周りの渡したい人達に渡せるだけのお金をちゃんと作りたい、まずは。お金の話になるのは、今お金で解決できるものがあると思っているからです。

いらなくなる時もね、くるよね。

ただ、もうすこし先の未来ね。いらなくなる未来と必要な今を同時進行しなくてはと強く思ってる。

空をよく見る人になって欲しいなーみたいな

娘にはこうなってほしいとか全然ないんですが(楽器をやってほしい、勉強できる子になって欲しいなど)、強いて言えば 疲れた時や落ち込んだ時に空をよく見る人になって欲しいです。

誰かを憎むんじゃなくて景色とか色とかそういうもので泣けちゃったり笑えたりする人になって欲しい。

 

一緒に車に乗っている時に、すごい雲だね!〇〇みたいだね!って会話できるのがうれしい。

 

昨日は巨神兵がいました

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子育てしてる感覚もないけど、子供は全身全霊かけて生きていて、集中力もすごいし吸収力もすごくてお母さんが絶対的に好き!だし、影響出ないようにしたいとどれだけ思ったって母の影響ってのが本当に大きい。

昔はよく、そのことに絶望していたなぁ。今はどうなんだろ。いっぱい失敗してるけど、挽回するチャンスをもらっている感覚。

昨日はそんな日だった。ぎゅーってしてもし足りない。でも、伝え続けること。

 

 

今日は朝からデザートの仕込み!起きれたー!