春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ストロングに勝ったことがない

時間が少しあったので、視察も兼ね 私もそろそろおしゃれに慣れようと、おしゃれだとよく聞くカフェに行きまして(行き方もグーグルマップの🔍でコーヒーと調べてしまうあたり喫茶店全然行かない感が出てしまい恥ずかしかった。ひとりだったけど)。

 

建築会社が事務所兼で作ったお店で、外観がまずシンプルで美しくて、中もすっきりしていておしゃれだなぁと思う一方なんだかしっくりこない。なんでだろう、、、?

 

アイリッシュミルクティーを頼んで國分功一郎さんの本を出し、でてきたミルクティーはとてもおいしい(これは美味しかった!500円は安いなと思った)、カップの大きさも好き、周りを見渡してみる、、、みなさんのコーヒーカップも素敵、食器は最高!なんだけどしっくりこなくて…

 

 

天井と壁が黒だった。

というか、最近でこそ黒い服を買うようになったけど、もともと黒は避けていた色だと、思い出すように気づいたわけです。

ベッキーかよ!というつっこみを思わず自分にしたよね。

黒が嫌いというよりは、似合わないというか、身体がでかくてくろいとすごく目立つ気がしていて、なんなら赤を着ていた方が景色に馴染むと思っている派

実際は何着ても大きいと目立つんですけど…

そういうのもあってか、わたしは黒にあまり免疫がない。

 

鉄筋や骨組みを黒くするのは無骨さをそのまま活かすための最高策だなーなんてぼんやり。

 

で、席とか動線とかキッチンとか考えちゃうのは職業あるあるかな。

 

スタッフさんがかわいかった。

結局はそれにつきる。

 

 

 

 

夜はストロングを炭酸で割ってのんだけど、それでもやっぱりくらくらしちゃって、やっぱり9パーセントの缶チューハイには違う成分が入っているんじゃないかと思った。

 

 

 

その時に、飲食店はたくさんあるなぁと思ったのでまた今度語らせてください。お化粧を丁寧にすると応えてくれると思った話もまた次回。

呼び方に迷いが出るお年頃

若い時にライブハウスで会う人たちとはだいたい酔っ払って会っていたので、すごい勢いでみんな(年下のかまってくれるみなさん)のことを呼び捨てにしてたんだけど、引っ越したり子供を産んだりでだんだん会う機会が少なくなって、ちょっと落ち着いてたまに会うと、呼び捨てだったか、君付けだったかで迷うことがよくある。あった。

 

今日ピアノを弾こうと思ったら覚えてたはずのコードがすっぽり抜けていた。

 

記憶が不確かすぎて記憶に頼らなくなった。

 

ほんとに忘れるんだ!ってびっくりしたし面白かった。脳よ、私の脳よ!って

 

だから距離が愛を深めるなんてうそ。若い時はすこしできるけど。でも、愛が深まるとかはわからん。深まったと思ったことがないかもしれない。んー。あー、あるか。

 

聞けなかったけど、あの人は彼女と別れたのかもしれない。絶対ずっと一緒にいると思ったのに。憧れだったのに。

でも、絶対なんてないよな………そうだったね。

 

50歳になっても仲良くしてたい。50歳になって気持ち悪くてもいいからデートしたいし馬鹿なことで笑ってたい。

 

 

お風呂入ってもすこし作業する。といいつつホットカーペットの上に寝ませんように、わたし!

 

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寝た

もちろんお風呂入ってない

冬は冬眠でいい

冬の記憶で覚えていることは北海道のことばっかりでこっちの記憶は寒いばっかり。

温度的には10度くらい向こうの方が寒いはずだし、雪も多いし、住みにくいはずなのに。

 

当たり前の強さが頼もしい、みたいなところなのかな。

 

 

書きたいことが、自分的には上がるための、上がってる途中のいい感じを伝えたいと思って書いてても、読み返すとなんだかダークサイド感あるなと思ってやめちゃう

を繰り返している。

ここは気にしてないとお思いでしょうが、ここですらそう。

 

 

余計なことを考える暇ががあったら手を動かす!なのですね。

今日はお弁当作り後、前芝まで探し物。

明日もお弁当作りあり。

 

 

 

コメダ珈琲行っていろんな人がいるんだなーって思いたい。

病院一緒に行ってくれる人が欲しいー病院苦手。絶対後回しにしちゃう。どうせなんともないんやろって思ってるから、無駄な感じしちゃうんだよな。でも頭痛治らなすぎだから行かなきゃなーでも鎮痛剤渡されるだけなら一緒じゃない?って往生際が悪すぎおばさん。

 

 

かわいい君が悪いんだよ、という暴論バットを持っている人の日記のようなもの

タイトルだけのための

 

モチベーションとかやる気とか待ってても絶対きてくれないということをもう学んでおりますので落ちながらも動く

焦ろうとしちゃう癖があるので、ちがうよ、時間はまだあるよ、と一人で二役しながら過ごします。

 

 

結局何も変わらないのは変わらないけど、もうすこし落ち着いたときに話してみよう

やっぱり、夫婦とか、家族とか、他人との付き合い方とか、そういうのズレてるのかもしれない。うまくできない。

間違ってるよ、と言われているように思ってしまうし、間違っててもこれでしか生きられない。

諦めたい。諦めてほしい。

どっちもどっちか。

 

遠くに行きたい。ドライブしたい。ただ、海をみたり緑にうっとりしたい。そしてあたたかくなりたい。

 

 

 

感情がない人と結婚した私の問題

まずはじめにお知らせしておくと、今朝もとても落ちて、噛み合わない会話をして泣きながら送迎した。なのでボロボロのメンタルでお送りします。が、心配するほどじゃありませんので。ただの物語だ。

 

 

感謝を表現するのがとても下手な人と結婚している。感謝だけじゃない、気持ち全部かもしれない。

それに困ったり悲しくなるのは私の問題であって結婚相手の問題ではない。

できないことを相手に求めるのは、誰も幸せにならない。わたしのメンタルの問題だった。

ただ、疲れたねぇって言い合いたかった。

 

日常のささいなことで揺れ動くことをよしとしてほしい。誰かに話すと、自分を語ると、現実を見なさい!と言われているような気分になる。

実際はわたしの方が現実主義すぎるというイメージなのだが、、、未来を見るから現実どうするかを考えることができるのでは?って思うと、

俺は未来を見てるから、って発言が腑に落ちない。未来は描くけど作ることはできない、ならわかる。作れない人が作る仕事を持っていたり、描けない人が未来図を描く場所にいるというのは致命的なんじゃないか。

 

 

がむしゃらに動いていたら実は私しか動いていなかった、という感覚なのが現在。

 

 

優先順位を明確にすることで役割が生まれるし、手放したいなら託さないと。信じないと。

手放せるなら手放したいよって言ってぎゅーっと両手で抱きしめているように見えてしまい、望んでそうしてるのかな?って思えてしまう。

あー、昔の私もそうだったのかなと思った。

 

全然変わってないかもしれないけど、あの時こうだったのかな、昔の自分とおなじだ、って思えることはそこから違う立ち位置になっているのかなーなんて。そうならいいな。

 

 

 

どうしても受け流せない言葉遣いや やりとりを聞いて悲しくなることも自分の問題なのかと思うと逃げ出したくなるけど、自分の問題なんだ。誰も助けてくれないし、自分で決めてそこにいる。

どんなに優しい言葉が溢れていても、自分で選んで自分で決めている。

 

 

 

悪魔祓いを自分でした人、こと私です。

が、まだまだ潜んでいる。慣れるし仲間にもなるし、笑って過ごせるようにもなる。わたしはそれを知っている。

 

二月が一番色白。たぶん、色白の人の8月くらいだけど

めちゃくちゃ性格が悪いので、今もーれつに動いてる理由が

・知りたい

・手伝いたい

の他に、「要らないものを排除したい」。

 

必要な人間だけ残ればいい、って思ってるんだと。無意識に。いや、意識的に。

 

多様性と真逆か。いや、そんなことないよね。ただ一つ言えることは、私の悪い部分が出ているということなのだけど。

 

でも、自分一人の行動で私の描くユートピアは作られるわけがなく(そんなもの本当にあったら居心地が悪すぎる)、だからこそ、もーれつに動いて「なんかおもしろそう」「自分にもできるかも…?」になればいいなと。

 

そうなの、絶望は希望を作り出すのです。

これを信じている。絶望が光だ。絶望信者。

ある方向からみるどポジティブすぎる思考。なんなら神のような。

 

 

 

必要ないものを振り落としたい、と

必要なピースになりたいと思ってもらえたら、の対極の念を同時に試している

 

 

そんなことできるかわからないけど、本当にただ祈っていたって届くはずはないから。

原始的だけど、まず自分が変わっておもしろがって見せていきたい。

 

 

 

ひどく落ち込むのは、人に期待しているからかもしれない。まだ、そんなことしてんのかって思われるかもしれないけど、信じたい部分があるのだ。

私は絶対変わる。あなたは置いていく。