春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

経てるのよ、私たち経てるわ

ライブ。

 

おもしろいけどまだまだだなー、イメージしてる改善策を早く試したい。

前日にいい感じに作れてたボイスメモを消してしまいうなだれたりなどもした。当日は基本当たって砕けろ。そこまでは美しく散るために必死、みたいな。

まさか今更ここにきて、ソロをこんな風にやるとは思ってなかったなぁ。

 

 

さとしが最後の最後にeigaを歌い出したので乱入した。この、乱入しても大丈夫だろうなって思えるのは信頼と信用だなーと嬉しくなった。

打ち上げで、会って14年経つよ…!??!?ってしみじみしたりもした。いろんなことがあって、いろんな場面に立ち会って、今も一緒にうたったりお酒のんだりできるのはお互い生きて音楽を続けているからで、平凡な言葉になるけど奇跡のようなものだね。

 

 

そんな中でもはじめましての出会いがあって、初めて行くライブハウスで初めて見る人に話しかけるなんて絶対緊張すると思うのに話しかけてくれた人がいて、ほんとうにありがとう。

とびきりにうれしい出来事。

(その場でSNSのフォローし合うなどは若い感じある、見習いたい)

 

 

 

 

 

めまぐるしく変わる環境に影響されて好きな色も変わって大事にしたいものや毎日食べたい食べ物、苦手な言葉やふっと思い出される記憶とか。どんどん更新されてうねりを作りながら拡がったり縮こまったりを繰り返して過ぎていく。隙間を生きてる。強い言葉はもうずっと欲しくないかもしれない。

 

たまにある接点だけで良い。

たまにある接点だけでいいってはやくいいきれるようになりたいーーーー

 

睡眠と食事に関しては固定概念すてた

基本的に雑誌に出てくるていねいな暮らしとか完全に無理だってわかった。

 

丁寧にしたいところにものすごい労力かけたいから他の部分捨てるタイプ。

なんで一人の時のごはんは最低で最高な食事してる。多分それが好きらしい。

中身は採れたてキャベツにネギに、お豆腐にこんにゃく豚肉。ヘルシーでバランス良し。そしてうまい。塩うまい。塩がおいしく感じるのって大人になったなーも思う現象のひとつ

これはこれで贅沢な時間だな

 

 

 

 

明日はライブなので一人スタジオしてきた。とても面白い。残り20分くらいで新しいことおもいつくのでいつも時間足りずギリギリあたふたしてるんだけど、店長さんがめちゃくちゃ優しくて毎回良い時間だったなーって思って帰ってる。明日も楽しみ。即興っぽさのあるライブなので頭をとても使う。そしてわたしはこれに興奮している。でも、自信はないので明日もスタジオ入ろうかな…ははは。

 

 

 

もうちょいあったかくなったら外でお酒飲みたいなーケーキも公園で食べたいし、やりたいことやろう。いっこずついっこずつね(言い聞かせ)

 

おもいきった

2時よ、にじ。

 

わたしみたいな人間でも生きられる場所をつくるよ、まずはわたしの居場所。気持ちのいい場所。うっとりする場所。

 

 

 

作った曲にうたをのせたけど全然かっこよくならない。男の人になりたい。イメージはあるのに。ならない。わたしじゃ無理なんだ。わかってるけどかなしい。

男の人に憧れて、思いっきり女らしい格好をする。

ワンピースは武器だ。

ばっちりメイクして着飾ってやっと、ジーンズとバンドTシャツ一枚の男の子と張り合える。

そんな感覚。

 

 

負けたくない。でも、頭ぶん殴られたくらいの衝撃ちょうだい

 

 

 

 

はー、不安定だけど安定へ向かって歩いてるから不安定なんだよ

とはいったものの悩んでいること

呪いを解きたいといいつつ、あの文章を出すということは誰かに呪いをかけているかもしれないと思ったり、、、

 

 

 

立ち呑み、安居酒屋とベーグルやさんめぐりしたいぞ、東京、京都ー。

1日目の夜に解散、そこから自由行動(気が合えば二日目も)くらいの距離感でお友達と旅行したい。

ツアー参加とかの方が合ってるのかな?

 

 

 

 

別に遠くに行かなくてもいろんなものを見なくても大丈夫なんだと、遠くに行っていろんなものを見ようとしてはじめてわかる。

 

知っていることは財産で、財産は使って初めて輝く。

 

あしたはbeの肩書きひとりでゆっくりやってみよーかな。スタジオもはいりたい。試せるってうれしい。こねくりまわすって面白い。

呪いを解きたい

家を出るまで二時間ある。
つくねを捏ねて焼いて、鶏むね肉を切って塩とお酒でもんで冷蔵庫にしまって、お化粧して髪の毛いじってだいたい一時間くらいだと思うから、少しのんびりしながらでも全然余裕だなー

まずつくねに取り掛かり焼き終えて時計を見るとあと一時間。
お、んー、まだ一時間あるし何しよーって、お肉カットをしてSNSのチェックしてたらあと25分で出発である。

 

まじか。

 

 

超特急のメイクアクセサリーなし、歯磨きだけは忘れずに!で無事歯医者さんに行き、現在コメダ珈琲にてギリギリモーニング、私にとってはお昼ご飯(にしないと納得できない程のカロリー摂取)の最中である。コメダ珈琲のモーニングはC(おぐらあん)一択である。余談ですが

 

 

 

そうやって、どうしてもできないことやどうしてもやらなきゃ気が済まないことを繰り返して、習慣や「私」という人間は作られていく。
と打ち込んでいたら東京事変の透明人間が流れてきた。

 

 

 

タイトルの「呪い」のことについて書こうかな。私はもうこの呪いとおさらばしたい。

 

 


私は、「やりたいこと」「わくわくすること」「好きなこと」などの表現がとても苦手だ。
聞くたびにどうしても苦しくなってしまう。その括りで集まっている人を見ると、距離を取りたくなってしまう。
実際は自分も楽しいことだけしたいし、わくわくすることを形にしていて、なんら変わらない。なんなら、私以外の全員には「好き」や「わくわく」や「やりたい」だけを選んで欲しいとすら思っている。
なのになぜかその言葉を使う人を苦手としてしまっているのだ。

 


数年前、ひらすらこれを言われていた。
やりたいことをやってほしい、好きなことをやれるように。って。
当時、はじめての子育てとはじめての職種の仕事、内容、規模とはじめてだらけで悩むことがたくさんあった。
周りの普通と自分の普通が全然違って、違うことが普通だと思っていたのに自分以外の普通がひとつしかないように思えて、私だけがおかしいんじゃないか?と毎日自分でじぶんを追い詰めていた。

 

苦しさやその時のしんどさをどれだけ伝えても、帰ってくる答えは「あなたのために」。私はなんにも楽になっていないのに、あなたのためにこうしました。あなたが好きなことをできるようにこんな風にしました、だった。
私のやりたいことや、こうなったら楽しい!は全部無視されて正義のシャッターを降ろされたような気分を味わい続けた。

 

という日々があった。

本当はどうだったんだろう。他の人が見たら私の方が変だったのかもしれない。ただのわがままだったのかもしれないし。

でも、すごく悲しかった

 

 

それから、やりたいや楽しいが怖くなった。

 

家族や仕事というどちらかというと形が崩しにくいものの中でなんとか生きようとしていて、そのために強くなるしかないみたいな…頭もカチコチ(ここでいう強くなるは耐性をつける)。
とりあえず、私の好きなものや大事にしているものはわかってくれる人だけに渡そう!と、どんどん縮こまっていって。そしたら、やっぱりだけど外に出すことが怖くなった。

音楽を作ることも意見を言うことも、人の顔色を伺って「まぁ、どっちでもいいけどね」って自分が傷つかないように予防線を張って過ごす時間ができあがっていった。これは本当に苦しかった。
自分でやってるのに自分じゃないみたいで、占いばかり見ていた(そうだよね、自分で決められないと思っていたから自分で決めている感覚がないんだもん)

 

わざと大きく振舞ったり派手に酔っ払ったりもした。楽しいけど虚しくて、こういうよくあるエピソードって、本当にだいたいの人に当てはまるもんなんだな、とか思ったりしていた。
(激情と落ち込みと反省が順番にやってきて、落ち着いてる時は自分の思考自体冷静であると思い込んでいた部分があり。正義VS正義でどんどん呪い続けるの図)

 

今思えば、助ける側も精一杯知る限りをいろいろを尽くしてくれていたのだと思う。きっとそうだ。ただ、合わなかっただけ。
でも、傷つかないかと言えばそうじゃないし、あの時のことがぐっとぐっと奥の方に刺さったままなんだなと思い出すことがまだまだある。

 

今でも、他人のそれが成り立っているのを見るとつい厳しい目になってしまう。甘ったれんじゃねーぞ、私はなんにもしてもらえなかったんだからなって。

 

どんなに本人が辛そうでも、救いたい人と助けてもらいたい人の
やってほしい←→やりたい(できるとも言うかも)
がマッチングしてて羨ましいんだ。

 


私は話を聞いて欲しかった。
知って欲しかった。押し付けないで欲しかった。確認して欲しかった。つらかったねってその先の意図がない状態で言われたかった。
決めつけないで欲しかった。

 

 

ずーっと、多分恨んでいた。
楽になりたいのに忘れたいのに許すのも癪で、手放したいって言いながら抱きしめてた。
それにしっかり気づけたのも最近だ。
私は呪いを解きたいんだ。目的はそこだ。

 

 

 


もっと言えない言葉を見たい
言えないその表情を抱きしめたい
できれば誰にも曇らぬ笑顔で過ごして欲しい
苦しみは美しさとセットでありたい
そういう言葉にしづらいものがそのまま存在して、それでも手をつなげる場所を作りたい。

 

それを先生ではなくて職人のように残したい。

 

 

私のやりたいことはそれで、好きな人たちが笑っているのを見るのが好きです。
イメージを形にして喜んでもらえることが喜びで、瞬間の力を持続の力に一緒に変えてくれる人のそばにいたい。
シンパシーよりワンダーを。


生き様を見せつけたいし、それを普通にしたい。

 


みんなそうなのかもしれない。

 

 

 

ここから呪いは解けていくであろう。

 

 

 

という文章をコメダ珈琲で書きました。

長居してごめんなさい!


 

キャッチフレーズだけの世界

やったら最高におもしろい企画だけど、やらなかったら最低なおもしろくない企画だよ、って台詞が

まさにまさにまさにまさに、

 

と頭の中をぐるぐるしている。

ただ、やるだけ。それにそっと添えたり助けになったりするのがキャッチコピーなのかな。

どんなに綺麗でステキでも刺さらないのはそういうことか

 

 

信じているからこそ疑うんだ。

信じると疑うは二つで一つで同じ意味かもしれない。

 

 

 

 

きょうはイヤリングを作る日にした。

作りながらいろんなこと考えられてお得な日だよ。

歌詞も書こうかな

まだくすぶっていることにきづいているのに

何年も前のやつが全然消化されてない

これは話すとちっちゃくなってくもんなのかな。情けないけどあの時すごく傷ついたんだなぁ。

とまだ出てきた。

 

 

 

 

自分で慰めてあげるしかない。そしてその分視界が広がるのかもしれない

というか、自分で慰めるまできた。すごいね、わたしがんばったわ

 

 

 

ーーーーーー

週末のことは大事すぎてあんまり話したくないし、話してもきっと100分の1くらいしか伝わらないと思ってるんだけど、それでも残しておきたいのは、いつかの力になるような気がするから。

好きなものを好きだって、大事なものを大事だって、言われたらうれしいし言える自分にも喜びを感じている。

感想を残すって大事だなと思っている。好きな人にもものにも出来るだけ心を込めてやれる環境が続いて欲しい。

 

 

今週はお弁当作るぞ。夜ご飯もがんばる。