春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

引退宣言した直後

もう時代を作る側にいないなと実感した数時間後、

私たち若い世代が変えていきましょう!と言われる不思議

 

 

見ている世界の違い。

 

 

年功序列、長くい続けられる場所、先生的なポジション、、、

あぁ、まだ50代60代がご健在の下で働いている人がいるのだ。

それが悪いことではないけれど、循環しなければ、空気の入れ替えができなければ滅びるだけだ。

 

で、変えようとしているひとがいて、私はそこと初めて触れ合ったのだ。

 

 

てか、普通に働いてたらこっちが普通なんだねー。そう思うとみんなすごいジレンマを抱えて生きてるんだな、なんかお手伝いできたらな。

 

 

満足感あるので起きるという習慣と真逆の生き方

当日は手巻き寿司で精一杯だったので、今日ケーキを買って食べた。

娘と一緒にひな人形を片付ける。ん、いやいや、娘が片付けているのを応援する母の構図。

職人さんみたいだったので、トッポを耳に挟んで大工さんみたいーかっこいい!と写真をとったりするのが母。

 

 

 

 

誠実さを持って生きていれば自然と繋がるものがある、をいろんな場所で目の当たりにしていて、だから自分もそうでありたいと願う。

 

そして、自分はもう時代を作る世代から抜けてしまったんだな、という感覚がすごくある。

やはり、若い人達のパワー、スピード、思考回路、自然さなど、もう見えているものが全然違うんだろうな。それでも普通の36歳よりいろいろ見ようとしてる方だと思うけど、そんな自分でもこんなに実感するんだから完全違うのだろうなぁ

 

これにしがみつくことをダサいとも思っているので、ここの認識できてちょっとよかった気持ちもある(しかし、そもそも作る世代とかを意識していない、意識する必要のない、又は見ようとしてない人には何にも変わらない世界が見えているのかも、かっこいいとかダサいとかないのかも?とも同時に)

 

抜けた世代としてどう作っていくか。なにができるのか、みたいな。持っていくものと捨てるもの、必要なものを見極める力。

一通り落ち込んでミリ単位の底上げ。これで生きてくしかない、の覚悟よ。それをありのままというのだろうか。一ミリでも底上げされてると信じたい。信じて生きてる…!

 

 

 

母親としての自分が死んだ感覚あり。もしかしたら、こういう感覚を一皮向けたというのかもしれません。人ってこれを繰り返すのね、おもしろい。

 

 

歴史を語り継ぐ人

節目の本人だったわたしはいつのまにか誰かの節目を見守る役回りになっていた。

 

 

レールみたいなものがあるとするならば、それの上にいたら絶対に会えないに人たちと出会えて、今もなお繋がって広がり続けていることをたまに確認できる時があって…この週末もそんな感じ。

 

自己評価が低いと言われることが多いけれど(この日も何人かに言われたけど、そんなかな?!)生きていたら忘れていくっていうのが当たり前だと思っているところがあり、歳も離れていて子供もいて遊び方も違う好みの音楽もかけ離れている人のことをわざわざ視界に残しているはずがないという感覚で生きているのよね。そんな中で覚えていてもらえたり、好きでいてもらえるって、なんというか、これもまたひとつのミラクルだなーと。

感謝しかなくなり、そこに居させてもらえることに精一杯お返ししたい、みたいな。

 

ラブリーラブリーラブリーというタイトル(すごくいいね)が彼を表しあの場所を包み込んでいたと思う。良き日でした。

 

 

 

最初に戻るけど、節目を迎え続けると物理的な数字と慣れにより自分の節目ってなくなるしどうでもよくなってくるんだなーと、しみじみ思った。あと、打ち込みながら思いついてメモ的に残したいので自分の話をしますが、生まれた場所が田舎すぎるので実家を出る前提で幼少期を過ごしていて、引っ越したり離れたりがすぐそばにあるから感覚が薄いのかも(こっちにきて実家通い率の高さに本当に驚いたものです)

地域性や年代、家系などでいろいろ変わるのかもしれないな、と比べてみて思った。

 

 

とはいえ、今を真っ只中で生きているみんなはいろーんな変化ひとつひとつに敏感で大事で、それを抱きしめて次の場所へ行くことを選択したという事実がもう美しい。

それごと抱きしめたい。みんなえらいし、みんなそれでいい。そのままで絶対大丈夫、となんの保証もできないのに思ってしまう←思考がたぶん死ぬ間際の人

 

 

 

 

おばさんおじさんは精一杯楽しんで生きるしかない。たぶん、そう。

そういうのを下の世代の人と会うことで思えたりする。で、それは上の世代の人たちが楽しそうに生きてるから思えることなんだと思う。

年代問わず遊んでくれるひとがたくさんいて、なんてラッキーなんだろか。

恥ずかしくなることはなにもないんだなー、目一杯おしゃれしたり、勉強したり、発表したり、もっと楽しみたいな。

迷うことも落ち込むことも面白がって、下の人達の希望というかセーフティネット的な場所にいれたらいいな。「目指すもの」いうよりも、大丈夫なのかも、自分にもできるのかもー、って思ってもらえる感じ。

みんな絶対大丈夫。そういう場所がいい。

 

 

じわじわと整理している。

じわじわと整理されてる感覚がすごく好きで、この時はだいたいにやにやしてる。

 

 

 

かわいい人だちばっかりで、かわいい人たちみんなにかわいいよ大好きだよって言い続けたいから元気に生きたい。というお花畑か超未来志向で過ごしている。これをどう人生(お金)と結びつけで仕事を作るかを考えることも大好きなので、大きく金は稼げないけど、わたしはまぁ大丈夫なんだとおもう。

最近やりたいことを考えすぎてて馬鹿になっていたのでよかった。ありがとう、みんな。

近いのか遠いのか、薄いのか濃いのか、迷ってるのか迷ってないのか

アピタのフードコートは高校生がいっぱい。

みんなもう生足だ。

はしゃいで風船の割れた音でしーんとしたりしててかわいい。

 

 

なんか、また同じことを考えてるようなきがする。それだけ譲れないのか、頭がかたーいのか。生命活動全般に興味がなくなっている。

ゴミの日だけは覚えてる

ごはんだけはつくる

生きようとしてるじゃないかー

 

 

 

 

 

あれだけ治らなかった胃痛。胃薬のんだら楽になったぞ。

 

 

できないことも増えたけど、躊躇わずに化粧品と本を買えるようになった。

それはとてもうれしい。

 

女性としての営みを疎ましいと思っている時点でいろいろとあれなのかね。性別なんてたまたまだろって感覚があるのに、痛烈に女であることを考えている。

気分の落ち込みも排卵日に向かっていってる感じあるし、それが悲しくて安心する

 

クロロゲン酸と相性悪いのかしら

コーヒー(といってもカフェオレ)を飲むと胃が痛くなる。最近は必ず。

 

なのにまだ、前回たまたま胃の調子悪かっただけかも…って思ってカフェオレ頼んでしまう。

 

それにカフェオレ一杯でこんななるわけないやろ…とも思っているし…

でも、必ず悪くなってる気がする…

でも、風邪のような気もするし…

 

 

 

 

違和感をブログに書いてそれで整理して好きなものや未来はノートに書き溜めているのでなんか嫌な奴って思われるだろうなって読んでて思ったけど、未来見てないと思う人はそれでいいか。

 

たぶん今日で最後だろうなという冬の色合いで出かけた。

 

 

ライブがあるので衣装を決める。ギターの弦を替える。毎度部屋の中をひっちゃかめっちゃかして、新しい組み合わせをなんとかひねりだしてる最中のこれが好き。

彼氏欲しいとか彼女欲しいって言って変わろうとしてない人の彼氏欲しいとか彼女欲しいという発言は空気だと思ってる。

意味がないよ。

って、私のお菓子やめたいもそうやぞ!

 

人に会いたくないときはたくさん人のいる場所に行く。

カフェがなくなって、学ぶ場みたいになっているのに違和感がある

学びの場は作りたくないと思ってやってきた身としては、多分これが大きいかもしれない。カフェを存在させ続けることで自分なりにバランスを取っていたのかなーとかなんとか。

 

 

 

とか考えたけど、

どの部分を切り取るかで変わってくるなと思い、ぐー、くるっ、ぱっ

学びたい人もたくさんいて、その人たちに教えることは何ら悪いことではないし、むしろ両者ラッキーなんだった!

私はそれがちょっと苦手というだけのことである。

 

子供や母親ってどうしても商材販売相手になっちゃうのも、なんかちょっと腹立つので変えたい。

ある意味対極にいる。アンチってわけじゃない。そっちもないと比べられないじゃない?と思う。比較して選んでほしい。そういう新しい宗教。

 

 

人生はきっとつらいことがたくさんあって、それは絶対だと思うから、もっとひっそりと「生活」のそばにあるようなものとして、暮らしを彩ったり乗り越えるときに力になるようなものでありたい。

 

 

これも切り取る場面で同じになったり両極に位置したりするからなんとも言えなくて、だから目立たない方に肩入れしたくなる。

 

 

こういう話をあーだこーだしたい。おもしろいねぇ、そんな考えもあるねぇ、って。

 

 

 

あと、この状況になって改めて思ったんだけど、古いものが好きなわけではないのだという… 

古いものの方が色合いがビビットだったりギラギラした感覚を受け取れるからすきなだけ。デザインの組み合わせとかもそう。

古民家改修とかにもほんと興味ない。が、必要ならやる。やるときは徹底してやる(やらないと気が済まない)から好きだと思われるのだと話しててわかったこと。

 

あとあと、はやく完成を見たいタイプなのでちょっとずつ進めるのも得意じゃないから、向いてないのよね。

 

 

そこで、私がやるべきこととは、?が見えてくるのだ。そうなのだ。信じて離れる信じて伝える信じて動く。

 

 

 

すごいねむいと思ったらあんまり寝てないんだった。それすら意識してなかった。

美容情報更新!歳をとることを楽しむための努力をルーティンに組み込む、そしてなにかを捨てる。

生き方とは。

 

 

脳がどうとか言われてもはいってこない脳の所為で

 

 

そうはいってもここにいると脳が萎縮していくような気がする

 

あなたが悪いんじゃない、あなたの脳がそうしてるんだ!そしてそんなあなたが好きなんだ。

って洗脳のセリフじゃない??

 

 

悪いドラマだなーと思いました。

 

 

 

脳科学者から見る世界の中心 86ページより