夏野菜の揚げ浸し
たっぷりキャベツとミニトンカツ
とうふとわかめの味噌汁
きゅうりとトマトサラダ
梅酒と赤ワインと炭酸まぜてのんでいる。
夏野菜の揚げ浸し
たっぷりキャベツとミニトンカツ
とうふとわかめの味噌汁
きゅうりとトマトサラダ
梅酒と赤ワインと炭酸まぜてのんでいる。
肉じゃがのいもを抜いてお味噌とお豆腐足して豚汁
肉じゃがのおいも
冷凍ご飯でチャーハン
賞味期限切れた麺のためのレモンと大葉の焼きそば
きゅうり
炭水化物まつりーーー
焼きそば捨てずにすんでうれしい。
レタス用意したのに忘れたから明日食べる。
肉じゃがをメークインで作るの好きだな、ねっとりしてておいしい。
肉じゃが、作って冷凍しておいた豆腐の春巻き、冷奴、お鍋の残りスープ
ごはんが作れる幸せ。玄米ごはんがうまい。
健康とか置いといておいしいから食べる。
野菜たくさん食べるのも、おいしいから食べてる。食べたいから食べてる。
マクロビとか有機野菜とか言うとすぐ違う箱に入れられてしまうけど(これには地味に悲しみ続けてきた)、好きだからやってるだけの人もいるというか。
わたしはジャンキーだしスーパーの野菜普通に買うけど、顔見て買えるときは農家さんから買うし、マクロビ料理も大好き。お菓子も卵乳無しのものをよく作る。理由はおいしくておもいろいから。研究しがいがあるから。それで誰かが喜ぶならうれしいから。アレルギーで食べられない子も宗教的な理由で食べない人もいるし、その人たちみんなで食べられるものを作れるならそれが一番いいなって考えてる。
刺激的な表現のされ方で誤解が生まれることはたくさんあるけど、それこそお好きにどうぞなんだ。咎め合う必要が全くない、あなたのわたしのいる世界。
最近の自分の内向きぐらいをだめだなーと反省し、瀬戸康史さんを待ち受けにさせていただいた。すごい威力を発揮してる。見るたびうれしくなるしパワーチャージされる。
みんな、好きな人を待ち受けにした方がいい、これは絶対良い。
すぐ忘れちゃうけど、ごはん日記つけます。
へなちょこもへなちょこでへなちょこなので強い人がこわい
疲れているときは負荷の少ないものを選びやすい。だから外に出るのも簡単に諦めちゃう。
すごい遊びたいというより、昔からそうなんだけど、ただそこでぼーっとしたりすることがたぶん、結構、好き。一人だと、ただそこにいることができるけど、一人以上になったときそれが居心地を悪くするものになったりして、私はそれを苦手だと思っているんだけど、本当はそういうなにもしなくても一緒にいられる関係こそ憧れていて、したいことで だからうまくできないことに落ち込んだりしている、ような、、、
自分を整理し直す。何度もそれをする場面が出てくる。粗がたくさん出てきすぎて世間とかけ離れすぎてることを改めて知り、役に立ってないのかな、、全然だめだーとなりつつもだからこそ生きてこれた部分もあり…だめで良いところを使おう……そして、これは私だけではなく人間全員の話なのだな。。なんて思ってはA3ノートに書き込んでいく。
単純に合わないだけ、というワードを私はいろんな場面で使っていて、それを冷たいと受け取る人もいるんだけど、音楽ひとつとってもたっくさんのジャンルがあってそこに演奏する人の環境や思考が混ざって作られたものにあーだこーだいう必要ないじゃないか、、みたいな、
大きく捉えすぎることによっておこる判断を美しくないと思っている
これは私のエゴだけど
劣等感というよりは単純な疲労やすり減りによる結果だ。あまりにもいろいろある。今までもいろいろあったけど、今はあまりにもいろいろあるから、どこをどれくらいサポートできるのか、なにをすれば力になれるのかをひたすら考えている。みんな死なないために。ほんと、みんな死なないことだけ考えてる
本は読めるけど音楽が聞けなかったり、音楽は聞けるけど本は読めなかったり、メールが開けなかったり、なんでもないのに泣いていたりする。時間がたっぷりあるのに筋トレできなかったり、筋肉痛がひどいのに筋トレをやろうとしたり、諦めるぞの1秒後誰かにそばにいて欲しいと願ったり
私たちは不安定と安定を両手に持ったり片手に集めたり飲み込んだり頭の上で花を咲かせたりしている。
ゆっくりすればいいのに夜ご飯のことを考えて生肉を買ってしまって家に戻るしかなかったり、誰かご飯作ってくれないかなぁと思いながら好きな人の好きな食べ物を作ろうとしたりする。
たりたりたりたりたりたりたり
どれもこれも、対極のようですごく近くでそれを感じながら生きている人に惹かれている。ような気が。
話が飛び飛びになるのは私の良いところでも悪いところでもあるのですが、今読んでいる本に頭を打たれ続けています。
泣きながら読む本じゃなさそうなのに泣きながら読んでいて。ただ渡されたものが、ばしばしと穴を塞いでいくみたいで胸が苦しい。ただ落ち込んでいるからかもしれないけれど。
でもでもでも、すごく良い本だなぁ
お腹が空くと胃が痛いのか、胃が痛くなってお腹が空いたなぁと思うのか、現象と付き合いながら自分が作られていく。
ちょっと疲れすぎている。今日は落ち込みたい日としよう。全身の力が抜けて、でも立ち上がるを繰り返しててもうほんとは立ちたくない。みたいな一カ月だ
無意味だと思っているのは私で、
無意味さと必要性を同時に考えたいと思っている。
他人のやってることに関して、ここまでやらないと机上の空論ですよねという人(そんなことしてても無駄じゃんって気持ちが透けて見える感じ)に対してそれこそが机上の空論じゃんと思ってしまうことがよくある。あれがどうにも苦手で、やっぱり他人を評価する暇があったら自分の手を動かしたい。
↑って、これも誰かから見るとそうなのだ。
私も手を動かせばいいのに……と思われたくないのでひたすら手を動かすしかない。
眠くて眠くてばたっと倒れこむように朝に向かうけど、結局朝になる前に目が覚めてしまい握力がまだしっかりあるかどうかの確認などをしてしまう。
もうすこし他人のエネルギーを受け取らないようにしたい。
たしかに私のやり方はとても効率が悪いんだ、、、また一週間始まる…ってサラリーマンのようなことを考えてしまう時点でかなりパワーゲージ低いー。
お酒飲みに行きたい、ドライブしたい、でも、いけるメンタルじゃない感じもある
脳が本気出したらエネルギー使いすぎて餓死する説を読んでグッときている。2パーくらいしか使ってないとかなんとか(あれ、もうすこしあったかな?)
すごく考えたり集中した時に、これ3パーくらいいってるんじゃないかな?とか思って、よーしもすこしやるぞーってなる自分が好きだよ。
もう、格言を格言のまま使うのはやめよう。眠くなるよ。
私は作っている人だけを応援する!