春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

円グラフで生きるために必要ないくつかのこと。

好きな空が何個かあって、その中でもこないだの夜寄りの朝と夜の間の月に照らされたうろこ雲は絶品だった。
自然のものに対しては、毎日毎日微かな変化に感動できるのに、目の前の人間にはなぜ苛立ちしか覚えないのだろうか…苛立ち=期待だなって自分の中で落ち着いてから多少のコントロールはしやすくなってきて。それでもまだまだ、期待しないこと、一人が平気になること、諦めることに疑問ばっかりになる時がある。平気になったらほんとうにひとりぼっちになってしまうような気がして、ほんとうにどこにも行けなくなってしまうような気がして、不安だけ残る。でもさ、ほんとうのひとりぼっちってなに?ほんとうに居場所がないってなに?みたいな。だから生きてる。

この世は諸行無常である。そういうもんだと思うし、終わったら無くなればいいと考えるタイプだけど、役目を終えて少しの淋しさと安心を抱きしめている。夕方からひとりで運転する高速道路が好きになったし、深夜の焼津港で漁に出る船にあーだこーだ言いながらボーッとする時間も、なんだかいつも私の方が救われているようだった。
理由がないと話せなかったり、逢えなかったり、そんな人たちばかりになってしまった中で、ぽかっとすとんと楽な時間だった。んー、でも、ただの考え過ぎで世界が壊れている気もするのはやっぱり自分の思考のブレや自分に対するズレなのかな。どうかな。


半端な美意識とか死んでしまえって思ってる。そう、全部自分自分自分じぶんじぶん。自分のこと、今すごく死ねばいいのにって思ってる。
それでも生きてることがなんなのかわからないでいるから、まだ死ねないなぁとか思うけど、でも、こんなにも、今なら死んでいいのかもって 思ってるなぁ…こういうときこそ、思い切って飛び込むんだよ!って実践したいのに現実は透明な死ねばいいのにナイフをからだにグサグサ刺してるだけ。
なんにも傷ついてないんだから、なんかやっちゃえばいいのに。


炊飯器のスイッチを押せました。
ナスのミョウガ炒めとモヤシのナムルと冷奴にきゅうりを刻んで生姜醤油をかけて、チキンカツ。
できたよできたよ。
えらいねえらいね。
ゆっくり眠ろうね。


おやすみなさい、わたし。今は慰めながら一つずつ終わらせるね。