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春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

もはや、クロスオーバー世代なんじゃないか

テレビの中で生中継同士局をまたいで同時に放送されているのとか、スーパーヒーロータイム仮面ライダートッキュージャーが一緒に出てたり、プリキュアオールスターとか!あういうのほんとわくわくしちゃうんですよね。
予定調和(それすら予定調和なのかもしれないけど普段と違うという意味では、)じゃない爆発力が見えるものになって、パワーとして実感できるものが好きで。音楽と絵を描く人が同じ空間にいるのも、音楽を聴きながらごはんを食べるとかも言ってみればそうで。
こうであるべき、を「作る人のこうであるべき」に変える、変えているその瞬間に立ち会える喜びというかなんというか。
それは友達のおうちを父が作っているとか、それだってそうだったのかもしれない。
父のこだわりが友達の住む空間になる。って子供ながらに誇らしかったなぁ。





起業とか新しい働き方とかベンチャーとか、ワードだけが飛び交う中に何を見つけるのか。
それが嫌な人もいるけれど、個人的にはどれだけ混ざったところで、どんどん細く棲みわけがされていくだけだと思うから、これらはどんどんあったらいいと思う。
誰かが必要だと感じて、あなたと手を組む。
組みたいと願う。助けたいと思って寄り添う。
必要なければ必要ないし、必要であればその手を取ればいいだけ。
あなたもそう。あの子を助けたいとか、力になりたいとか。近づけば良いし、手を出せばいい。握ってもらえてももらえなくても。どんどん色が増える。選べる。

これを話すとフランス料理やさんでぎゃーぎゃーと泣いてしまう子供を連れて行ったって自由でしょ。一緒でもいいじゃないか!みたいな話と一緒くたにされてしまうけど、とりあえずは違います。だから、家族で行ける高級フランス料理店が新しいものとしてできる。どうかな。伝わるかな。(果たして小さなこどもにフランス料理が必要かどうか?という議論は置いておいて)
結局はコミュニケーション。
本当はコミュニケーションを必要としないコミュニケーションが必要なのかなと思うんだけど。


覚悟、みたいなものを確かめる2月で。
三月は柔らかい春を迎えるためにまた新しい覚悟をするんだとおもう。



私はどうやっても月の初めに落ちてしまって。それを一番近いところにいる人に全て出してしまいます。一カ月、一カ月頑張ったのに、一カ月分の鬱々としたものを抑えきれなくてどうしようもなくなるのです。って。それは、もう、ひどい言葉で暴力的で自虐的に。
それを鬱かもしれない。と思ったのは、何カ月もそれを繰り返してみて、なんか変だなぁ?と思いだしてからでした。今までは、爆発するのは溜まったものが我慢しきれなくなったからだ!と決めつけていたんだけど、どうも違う気がして……もしかしたら、膨れ上がったものではなくて、すとんと落ちたことで対応ができてないだけではないのかと。
もちろん、それだけじゃないのですが数日が過ぎると落ち着いてしまって申し訳なさとわだかまりがどんどん増えていってそれすらも次のためのパワーになってしまうのです。
もともとの問題点はあるものの、どうしたってもう難しいという結論だけが頭の中をぐるぐる回っていたのですが、なんというか、もし月の最初の2.3日をひとりでどこか知らない街にいって過ごして落ち着いてしまえるならば、また笑えるようになるのかな?と今は考えていて。
一緒に居たいと言ってくれる人を大事にしなくてどうするんだろう。それこそが一番悲しいことだな。と。


あぁ、とりとめもなさすぎる…でも、残しておかなきゃ。吐き出さなきゃ!となっていて、書かずにはいられませんでした。

きっとこれからまた変わる。最近よく夢を見るのはそのせいかもしれないな。
次は忘れたくない夢の話にしよう!