春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ウェディングドレスを着たかったのは花嫁に憧れたからではない。

テーブルの上の小さい蜘蛛も躊躇なく殺してしまえる。あれ、朝だったっけ?夜だったっけ?どっちかのは殺さない方がいいとかあったよね?あぁ、どっちだったかなぁ。夜だったかなぁ、朝だったかなぁ。みたいなことを蜘蛛を見るたび考える。
そのままの日もある。そうじゃない日もある。
別にどっちでもいいのでした。嫌なら殺すし、一緒に生きたいなら共に生きるのだ。


6月はジューンブライドというだけあっておめでたい席に出させてもらったり、いろーんな写真を見たりして各地の幸せをいっぱい受け取った。流れに乗って7月もそんな感じ。
いいなぁなんて、思ったりする。
式とかやればよかったな的な、ドレス着たいな的な。
もう結婚もして子供もいる身なので、この話になんの説得力も なんの意味もないのだけれど、私は今まで1度も結婚したいと思ったことがないままこうなっているような気がする。
いや、1度はあった。それは覚えてる。
でも、そのタイミングでしなかったので、やはり1度もなかったということにしてもいいような気がする。

とはいえ結婚しているし、子供もいるよ。
だけど、世間一般で言われる普通の家庭の作り方を私は絶対できないんじゃないかと最近よく考えていて。いや、もうあるんだけどさ。順番とか関係ないよねって言った方が楽な立場なんだけどさ。でも、やっぱり何も無い状態で誰かと未来を誓いあったり、共に生きる覚悟を決めることがとても大きなことすぎて、、。
周りのみんながたまらなく眩しくなったりする。勝ち負けではないんだけも、そこには絶対勝てない何かがある。

だから、不幸だ、どちらが幸せか…とかの話ではなく。
ウェディングドレスへの憧れはずっとあるけれど、それは花嫁への憧れではなかった。ファッションとしてのウェディングドレスだった。
指輪を買ったり、式をしたり…そういう何かでその形を保てたかもしれないみたいなのはまじでふぁっきんな思想だと思っているので、そんなことを考えた自分にとても気持ち悪くなったりしたというお話であります。


本当にみんなの笑顔そのままずーっとであって欲しいな。
なんというか、絶対に幸せでいるべき人達!っているんだよね。
その人たちのためならできることなんでもしたい。そのために形が変わることを厭わないというか。だから、形式とかにこだわる瞬間の自分に気持ち悪くなるというか。
子供がいてどう?と聞かれてすごく楽しいよって答えるけど、それと同じくらい子供がいなくたって楽しいと思う。
絶対なんてない。
でも、それを信じて選んで進んで来た人には絶対幸せになって欲しい。

そんな感じ。