春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

作りすぎたパスタを一人で食べる夢をみた

何度も書きかけてやめたいつかの朝のおはなし

赤ちゃんを抱いている彼を見て、家族だなぁとおもった。

ぼそっとそれを言ったら、横で聞いていたパートさんが
「赤ちゃんいるとどんな状況であれ、幸せでしかないですもんね」って。あぁ、そうだね。そうですね。って自分とも、他人とも、なんだかわからないものにおきかえてずっしりと胸の奥に溜まっていった。
その通りだな。幸せでしかない。だから、つらい。だから、頑張れる。


家族の形や夫婦の形、いろんな状態があっていいと思っているのに、いざ、その形を体現しようとすると「あれ、こんなことに私はこだわっていたの?」「やっぱり、親ってものはこうじゃなきゃだめなのか?」とか、制度や世間だけじゃない自分の中の勝手なルールとかがどんどん出てくる。結婚なんてただの形式でしかないからいらないってずっと思っていて、それをある時話したら、誰かに「ただの形式なんだから結婚したらいいじゃん」って言われたことがあったけど。してみて私は、やっぱりいらないんじゃないかって思ってる。あー、でも、どうなのかな。夫婦だけなら、結婚した方がいいかも。親子であることや、家族だから、家族であることってどんな状態になっても変わらないから、少しでも笑ってる顔が多いほうがいいなって思ったら、一緒に居続けることが正解だとは思えなくなってしまった。


ずっと好きでいられるなら離れた方がいい。
そんな時、気軽に出した紙切れが重すぎて苦しいものになってしまう。選択肢はどんどん増えているのに、ここだけものすごく少ない。
都合が良いと言われればそれまでだけど、好きになった人を好きでい続けるために距離を置くって、別に変なことじゃないと思うんだよなぁ…


偏ってるのかな。一般的な感覚から少しずつ外れているのは薄々勘づいてはいたのですが、外れていくことがだんだん怖くなくなったのかも知れません。
そのズレがどんどん大きくなっていく。
そもそも、いつからこういう思考になったのだろうか。



まともな思考じゃないから選べないと彼はいっていたけど、全て自分で選んでいるとおもう。だから、言われた時の違和感が忘れられない。
生きることは選択し続けることだとおもう。
選んでないのであれば、それは誰かの所為にしているだけなんじゃ?と、どんな人に対しても思ってしまう。
優しくないのかもしれない。
でも、私は彼の人生を作れない。
ほんとうに自分は自分で生きるしかないんだと、強く強く思うようになった。





7月29日 セミがうるさい。