春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

カレーはおいしい。お酒は残る。

(以下 月曜夜のお話)
土曜のアルコールがまだ体の中に潜んでいる感じ。はたまた風邪か。

クーラーも扇風機もいらなくなってしまった。くぅぅっとむきだしの雲が少し薄まって秋になってきた。今日は残り物のカレーにナスを足してまたカレー。でも、夜はまだじとっとするな。あー、やっとお酒が抜けてきたかも。
発酵バタープリッツもぽりぽり。好きなもの好きなだけ食べちゃう。好きなもの好きなだけ食べちゃおう。


週末は職場のみなさんとごはん会。内二人はお酒を飲んで、その二人のうちのひとりは私だ。
子どもたちも揃ってワイワイ過ごしていたけれどお酒が進んだ私は最終的にボロボロ泣いてたし、もう一人のアルコール摂取したスタッフさんは私の夫氏(会社の取締役)に指指し説教してて笑った。
いつもオブラートに包んで話していたつもりだったけどそれは悲痛なものだったみたいで、なんというかお母さんみたいに私のことを守ろうとしてくれてた。もちろん、私のだらしなさもめちゃくちゃチクリチクリされたけど。 
どうしても頼ってしまう。でも、そろそろひとり立ちしなさいよってやんわりと。
別の長い付き合いのパートさんも優しかった。優しかったというか、欲しかった言葉をもらえた。
みんなそれぞれの生活があって、ただ集まっているだけ。目的が違ったら離れるし、またどこかで会えるかもしれない。ただ、こんなお付き合いになったのもなんかの縁だよねって。
私の優しさ、ここではこれしか使えないけどこの分は全部使うよって。
これがいい。ほんとにこれがいい。
 
(ここまで月曜夜)




(火曜19:42)
優しさって難しいな。私が息苦しくなってる原因は誰かの優しさだもんな。
私も誰かのことを苦しくしてるかもしれないって思うと、どんどん慎重になってしまうや。
でもでもさ、あなたのことをおもっていますよーがない優しさってなんだろか。
私が考える優しさや思いやりには、前提に伝わらないと意味がないってのがあって、特定の相手がいる場合、それはセットでなくてはならないのではないかと思っている。プロセスを大事にするのもそうだけど、それをその相手に求めるのって変だな。違和感すごいある。
見てる人は見てると思うけど、それはまだ別のストーリーなんじゃないか。
そんなに何役もできないよね。ほんとにそうだ。諦めることもいいと思うし、諦めないって究極の自分かわいいなんじゃないか。






仕事をやめたら九州をぐるっとしたい。ミツさんとこに行きたい。長野にもちょっと長く滞在してみたい。東北も青森にも行きたい。
住みたい場所が見つかるまでぐるぐるしたい。
自分で自分を追いかけ回していたので、よしよし、ゆっくりしようねって自分に言ってあげたい。


住む場所なんてどこでもいいって思えたらここじゃなくてもいいって強く思うし、家族の形もいろいろあっていいって思うとどんどんはみ出してしまう。やっぱり、契約とかは窮屈だ。家族というものが、夫婦というものが契約に縛られてるって思ってしまう自分が良くないのだけど。
無くてもかわんないならなくてもいいじゃんって部分全然変わらないなぁ。


ほんとうは少し縛られるくらいが普通に生きるにはちょうど良いし今までそうだったから生きてこれていたのかなーと今は思う。
カオスに憧れているんじゃなくて嫌悪しているのかもな。憧れてると思ってたけどカオスを閉じ込めているのかもしれないぞー
という、新しい考え。