気づけば、昨日は記念日だった。
4月が節目なのは世間的なものだけのことじゃなくて、子供を産んだりお店を振り返る月だったり、桜が咲いたり暖かくなったり、そういうのも相まって身体の中の細胞がざわざわするのかもしれない。
楽しかったことや嬉しかったことを覚えておこう。たくさんたくさん。
そう思えるのは、、、というか、まだそう思える人になれているのかわからないけど、楽しかったことや嬉しかったことをたくさん覚えておきたいなって思っている。
それは、ずっと見てくれていた人たちがいたからなんだなって、昔は無理やり思い込ませていた気持ちが、そうなのかもなぁ…くらいになって、今までの三歩前くらいで立ち止まれている気がしてて。誰かがいつだったか「どんな言葉もみんな善意で言ってくれているんだ、って最近になってやって思えるようになった」って話をしていたんだけど、そんなのを気にすることは大人として、人としておかしいのかもしれない…何かを大事にしたい気持ちが強すぎても迷惑ばかりなのかもしれない…と怖がっていた私は、
この人でもそんなことを思っていたのかぁ…これって持っててもいいものだったんだ…って認めることができたらおもしろいことに楽になってさ。
投げ出さずに認めてくれていたし、いい年して泣きじゃくってもぎゅっとしてくれていたし…。かわいいかわいいと言い続けてくれて一緒にお酒を飲んでくれたり、酔っておかあさんみたいになってくれたり、うれしいことはたくさんあった。その都度感謝や勇気をもらって頑張ってたけど、もう悲しみにのみこまれないように。悲しみにのみこまれることは仕方ないよって思って過ごしていたけど、私は優しい人たちのおかげで体力がついた。悲しみゾーンに進む力じゃなくてうれしいゾーンに進みたい力をもらった。またいつどうなるかわからないけど、この力はほんものだ
与えてもらいたかった日々よ、さようなら
今はまだ決意だけど
さようなら、さえ愛しく思える日が来たらいいな。の決意だ。
全部なくなっても全部なくならないよ!ってさ。
そして、わたわたの日々ですが、ずっとちまちま集めたり考えてたものでアクセサリー作りを始めた。もう何年もやりたいと言いながら手をつけてこなかったものたち。
なんか、ちょこちょこいろいろ手を出してどれも中途半端に見られるかもだけどやりたいこと全部やりたいし、これで稼ぐぞ!ってわけじゃないからこのチープさと私の思う美しいやかわいいものを作れればいいな。好きなもので囲まれるための種のようなものかな。
そういえば音楽だってギターもベースもアコギもバンドもソロもユニットもやりすぎぐらいやってたんだよ。曲も全部違うんだよ。なんか、一個しかできないー不器用ーって言われるし記憶力どんどんなくなっててやばいって思ってたけどそんなことないんじゃないかなー、なんてね(脳については容量オーバーしている可能性はある)
自分の中だけじゃなくて、また読み返せるように残しておきたかった日記のようなもの。
ちゃんちゃん。