春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ベレー帽が麦わら帽子に変わる時

【近況と個人的メモ】

 

近況

やっと大きい声を出せるようになった

浴衣用の着物を二枚購入したので夏が楽しみ

インターネットでよく目にする学校生活にはならなそうな予感

かっこいい女の人に会う

 ウーパールーパーが仲間入り

 

 

 

 

メモ

書き言葉はその人のすべてではないし、ジャンルは思想ではない

楽しいは逃げではないし、落ち込みは不満ではない

怒りの成分は悲しみや虚しさという形の愛情かもしれない。

 

 

拡がれば拡がるほど、見たいものは少なくなって、向き合えば向き合う程オープンになっていく。

 

 

 

 

 ひとりの時間が思いがけずできたのでふと思い出したこと〜〜

 

自分の思う愛が環境でできあがったのなら

 

父は子供が好きだった。という話をよく聞いていたし実際そうだったんだけど、父は子供が好きだったわけではないような気がした。

なんだろう、大事な友達の子供だからあんなにかわいがったんじゃないかな。父はとても義理や人情の人だと子供ながらに当時から思っていて、昔(感覚としての昔)や田舎で生きていた不器用で少しおひとよしの父をとてもかっこいいと思った(思っている)し、そんな父だから他人のことをあんなに家族みたいに喜んだり悲しんだりしたんじゃないかな。とか

 

 大事な人の家族をかわいがる時に、

「この子がこんなにかわいいのは貴方が大好きだからだよ」って、そんなことは多分言ったことがないと思うけど、そんな気持ちだったんじゃないかな。

そんな風に考えたりできるくらい、父は私にもわかるように父なりの愛情をなるべく伝わる形で見せてくれていたように思う。きっと誰もがみんなそうなのかもしれないけど、父と私のそれは相性が良かったのかも、と今なら思う。

そんな父の元で育ったので、好きな人の好きな人たちまで好きになりたいし、えこひいきめちゃくちゃしたいし(それが私のとっての平等や公平になるので)、私の愛情表現はなるべくわかりやすいもので、って、なるのは当たり前だなーと。

どっちが良いとか悪いとかじゃないし、これが正解でもない。

 

それぞれの。それぞれの。

 

 

いつだったか、叔父さんに悲しい気持ちは忘れなくていいんだって言われて救われたことがあって、それからつらいときはだいたい思い出していた。

今日も思い出したんだけど、悲しいことは忘れなくていいんだって言い聞かせながら元気でいようとずっとずっと思ってたんだな。 って気づいた。お父さんに逢いたいなーと声に出してみた。逢いたいんだよな。悲しかったし、悔しかったんだね。どうして私の夢には出てきてくれないの?って思ってるし、写真に話しかけては物音がしないかと静かにしたりしていたのもずっとずっと逢いたかったからなんだね。

お父さんのこと、ずっと大好きでいられるのが誇りでもある。

明日からまた違う形になったりするのかなぁ?久しぶりに父とわたしのことを思い出したので記念メモ。