春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

上澄みだけを掬った水を君にあげる

言葉は、確か全体の7%くらいだったかな。それくらいしか場に対して影響力がないみたいな話を聞いてから、検証をするようにたまに思い出しては考えたりするのだけど。

 

 

確かに

 

 

でも、どうにも こうにも、私は文字が好きだ

好きな文章を好きな言葉を選ぶ人を好きになってしまうところがある。

 

 

……言い方やその時の空気も大事だけど、一般的に言われている言葉の影響力よりもはるかに大きな影響がある。

好きがあれば苦手もあって、それに対してもおんなじように反応してしまうから良い部分だし、まぁ、駄目な部分でもあるんだけど、。という予防線を張りたいくらい影響がある。

 

 

正義を武器にしたい人とはすこし離れた場所から会話したい。

 文字にも気持ちは見える

気持ちが見える時にぐっとくるし、乗せた言葉を攻撃に使っている場面に合うと、とても悲しくなる。

自分でそれをやってしまう時も情けなくなる。

(もちろん、これは、完全なる私からの一方通行であり、相手が意図してないこともある。そういう時は誤解というものが生まれ、確認という作業も必要になってくる。もしかしたら、とても手間のかかる生き方をしているかもしれない。それでも私は言葉の選び方や順番を考えることが好きなのだ)

 

 

結果を誰かのせいにするのは卑怯で、許さないまま側にいることは残酷だ。

 だから、反省したり調子に乗ったり、好かれたり嫌われたりしながら生きていくと思っていた。

 

誰かが全部ただのタイミングだよ。って言ってくれたときに救われた。

 

 

深く考えることと重く考えることは違う話で、突き抜けることと周りを見ないことは違う。

これは、何回考えても違う

 

 

 

 

 

 

みんなそれぞれ大事に持ってるものがあって、それを大事にしたらいい。

もっと自分のことを考えたらいい。

 

 

 オブラートに包むことでぼやけて見えなくなってしまうときもある。

 他人を盾にするくらいなら生き延びなくたっていい

 

 私の生活する、は、私の生活する、でしかない

 

 

なんて勢いで書いてみたけど、あたまがかたくなっているー。もみもみ。

 

髪の毛を切ってすごくさっぱりしたし、気に入ってる。そして次回はパーマリベンジじゃ。