春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

その未来に私はいない

ーーーネガティヴやポジティブなどでは判断されたくない、ただの記録ーーー

 

 

 

無意識の部分で家のことは母親がやるものという思想が染みついている人の「なんでるやるよ」は信用してはいけない。

 

 

見ていない部分や見られていないと思っている部分こそ 人の姿で、そこをどれだけ疑うか、そこをどれだけ信じるか、、、みたいな!

 

 

 

昔、スーパーで働いていた時に、とても掃除が下手なおばさんがいて私はそのとき23歳くらいで(母くらいの年齢で子供もいたのでおばさんと呼ばせていただく)、確かにざっくばらんな性格でがっはっはーって感じの人だったけど、なぜ子供を育てあげ何十年も家事をしてきて しかも私より20以上の年上なのにこんなに洗い物が下手なのか、拭き掃除ができないのか…?と毎日憤慨していたのだけど、

先日普段拭き掃除をしない人の掃除の仕方を見え震えた。

 

見えていなかったのだ

汚れが見えないのだ

ほこりがそこにあると思ってないし、思ってないから目線も落とさない。探さない。

 

 

10年間不思議だった謎が解けた。

すごい腑に落ちた。まじか、まじかよ。って。

 

当時、意味がわからなすぎて、

「もっと丁寧にやってほしい」としか言えなかったように思うけど、丁寧もなにも、見えてないんだからどんなに丁寧にやっても変わるはずないんだ。

そう思うと、私の伝え方も未熟だったし、掃除は全員できるものという思い込み(だって、小学校に入ると掃除当番あるじゃん。毎日してたじゃん。だからできない人はいないと思っていた)があった。

隅々まで塵ひとつない場所にしろとは言ってないし、そもそも私自身そんなに綺麗好きではないから、だからこそ、みんなできると思っていた。私でもこれくらいはやれるんだからみんなは(ましてや年上の女性は)もっとできると思っていた。

 

一人暮らしをしているかどうか、結婚しているかどうか、性別は、年齢は、どれも関係なくてできないというよりやり方の話だったんだ。ということに10年経って気づくなんてなー。

 

そして、私はなんでそんなに厳しいの?いじわるだなぁって思われたりしてたんだな。

 

 

 

わかって欲しい、好きでいて欲しい、など、愛情という名のエゴをぶつけていた時のかわいさよ。

ハローサマーデイズ、君を待っていたよ。