春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

平成最後の大冒険終わる

 

【平成最後の】を最初で最後に使う。

 

帰り道熱唱の四時間。満足度高い。全く眠気にも襲われず足も攣らずになんなら帰りにJAに寄り道してお店のお米も買えちゃったりなんかして、奇跡だった。

熱海はやっぱり良いところだし、私は北海道に生まれ育ってよかった!(隙間の休みに往復400キロ日帰りなんて北海道人くらいしかしないはずだ、距離感に対する地域性に感謝)

好きすぎてお店出せそうな売物件、貸物件を調べてしまうくらいなんだよ

あの急な坂にあのすれ違うにもギリギリの細い道なんて、住んだら絶対に大変なのだけど、、でもあれを魅力と感じてしまう不思議。。。

あんな景色を見せられて嫌いになるはずないよね。暴力的景観、圧倒的観光地だと思ってる。もちろん褒めている。

 

静岡は横に長〜い ってあんまり良い意味で使われなかったりするけど、パーツごとに魅力がありすぎてどこに行っても楽しい。

好きな人もたっくさん。静岡県が隣で良かった。

あぁ、海がいいなぁ。海のそばに暮らしたいなぁ。

 


会いたい人に会いに行ったり、眺めたい距離で眺めたり、触れて確かめたいものに手を伸ばしたり、山道の運転とか、したことないことは自分でしてみたい。実感したいし確認したい。

それでだめだったって思いたいし、大丈夫なんだって信じたい。

 

いつもいつもいつもいつも(ほんとうにいつも!)言うけど、

やっぱり

身近な人達の幸せを素直に喜んだり願ったりしていたい。かわいい人にかわいいって言いたい。好きな人に好きだよって、センスの良い人に素敵だって、選択しているひとにかっこいいよと言いたい。小さな一粒にうっとりしたり悲しんだりしたい。それはたぶん自分にも。

 

 

こういうことを書くと、なんだか、とてもおめでたい上にストーカー気質な気もするけど…(そう言われれば、執着心は強いし独り占めしたいとよく思っていたしストーカー要素多めかもしれぬ……)

 

認められたいばっかりだと思っていた私の意識、本当は伝えたいの方が強かったのかもしれない。自分自身に大丈夫だよって。認めてあげたかった。負けたくなかったんだね。あぁ、それってとても強いエゴだね。

でも、強いエゴが世界のはじまりになることだってあるでしょ?だからさ、物語はここから始まるんじゃないかな。なんて帰り道に考えたりした。

 

 

 

 

 

彼がすごくかっこよくなっていたから、私も私を頑張ろうと思った。

そういうところが好きだったし、いつまでも目に入れても痛くないかわいい存在なんだなぁ。

たまに好きなだけ見ていい時間があるのはギフトだなと思う。生きていてくれてうれしい。

 

 

 

世界に怖気付いたりしなくていいんだ。

スピードを手放して少しだけ速くなったかもしれない。

 

 

 

 

また会いにいけますようにと手紙のような日記のようなとりとめのない書いておかないと忘れてしまうくらいの感情の起伏を記しておこう。すぐ忘れちゃうから記憶を記録して記憶にする、という作業(だから過去を愛してしまうんだね)