向かいのおじさんの名前が出てこなくなってしまった。なんとか思い出したけど、今日また忘れていた。
そういう人が何人かでてきて、だんだんあれやこれも忘れていってるのがわかる。
その度に、もしこれが病気じゃなく生きていく上で自然なことなら、私が忘れられてしまうのも自然なことだなと思う。
関わりが無くなったり興味がなくなると、とたんに薄れてしまうのは仕方ないんだ。
ーーーある日のやりとりーーー
どんな風にしようか、?
昔の手紙を見つけて、それをミュージカルにしたような感じはどうかな?
いいねー
いいねと言ってくれる人がいた。
わからないばかり言われていた日々もあったけど、なんか今はそれも良い過去になった。
わからないと言われて悲しむことはなくなった。あの頃はめちゃくちゃ怖かったのになぁ。
紙袋に自分で取手をつけて喜んでいる。
紐を変えるだけでかわいくなる、そしてそのちまちまとした作業をしている自分が好きだ。
作業をする時間を取れていること、想像通り素敵になったこと、小さいけど満足感が大きいこと、とかそういうのに喜んでいる。
結局やった方が良かった、ってことがたくさんある。休めたーより、やれたーの方がうれしい。泣きながらでもやり切れた方が満たされる。だから、ただ抱きしめて欲しかっただけなんだ。たぶん、ずっとそうだった。
まだたくさんの新しい発見が自分にあって、飽きないな。
今はリュックが欲しい。リュックいらんやろって手放しちゃったけど、やっぱ一個欲しい。両手空けたい。両手空くのいいよね。なんでもできるもんね