もうきっと、ずっと忘れないんだろうな。あの日何をしていたか、通常の生活に戻れなくなった数週間と気付いたら忘れる日が増えていった今日までの日々。
この調子の悪さは気圧のせいかもしれない。劣等感を身に纏ってしまっている自分が情けないと同時に、剥がしたいのに剥がす前に味わいたいような。味わうことで自分のやり方が見えてくるかもなぁと思ったり、そもそもそんなものない方がいいのか、、とかさ。
悲しいけど楽しんでいる、多分
「知ろうとしない人の解決策は暴力だ」
って言い切りたいけど、それがその人の優しさだったりするのを知っている。そんなつもりはないし、傷つけようとして言ってない。
それを理解してしまった自分は、それを責めることができない。でも、今は許せない。
自分の正義と戦っている。
だから、素直に受け止められるまで距離を使うしかなくて、それくらい許してよ!とどこかで思っている。怒りより悲しみが大きくて近ければ近いほどそれが大きくなる(怒り=悲しみである。説が有名ですが、ここでは悲しいは悲しみのまま使っています
勝手に傷ついてしんどくなって馬鹿だなぁと少し冷静になっては思い、
ちょっと前までは、馬鹿だなぁーーあーやれることやるかー。がんばろー。で立って動けていた。
それが今回はそうもいかなくて、そろそろもっと深掘りして選択する時がきているのかも?とか思ったり。
今の状況の不安定さに左右されてるだけかもしれない。お金の問題だったり私の趣味嗜好の偏りだったり、さまざまな要因が絡んでそうなっていて、それ自体はそんな深刻じゃなくて、でも迷ってる最中はめちゃくちゃ迷ってるから、他人に自分のことを話すとものすごい悩んでるように聞こえたり、早い段階で解決策を渡されたりして、
あっ、これってダメなことなんだなーって刻まれていく。
話し方が気軽じゃないのが問題で、私はまだ人に話すレベルにないのかもしれない。
それでも、そんな私を、今ぐちゃぐちゃしてるねー、馬鹿だねーって笑ってくれる人もいて、その人の「考えすぎだよ」はすっと入ってくるという。内容じゃなくて状態を受け止めてくれることの安心感なんだろうか。
馬鹿だなーって一番言われたくない言葉だって人もいると思うから、受け取り方や誰が言うのかって人それぞれすぎておもしろい。
人それぞれだから、精一杯考えて、精一杯相手を思って選ぶってことか大事にしているポイントなのかな。言葉ってなんだろ。私は何にこだわっているんだろ。
どうにも、わーっとなってしまい誰かに聞いてほしいけど話す相手がいないのでこうやってブログに書いている。12年、ずっとこうしていたのかもしれない。
ずっと誰かと話したくてずっと誰にも話せていないっておもっているのかな…?
(ブログを始めて12年らしいので記録として数字も載せていこう、忘れっぽいけど年輪は刻みたい派)
さっき、玄関のドアを勝手に開ける人がいて、挨拶もなし、名乗るでもなく、これがどうしても許せなくて(工務店?の営業の方だったけど)
持ち家なんて必要ないと思ってます!と言ってしまった。
びっくりされたけど、後の返しも嫌だったので、本当にそうだし絶対あなたのところで建てたくないからな!の意も込めてこちらも強めで対応した。
三河弁ごとまた嫌いになりそうだった。
というか、だいぶ苦手ゾーンにある。なのにその場所に住んでいて、もう、そもそも論になっちゃわない?負けにいってるよなって感じ。
方言が嫌で失踪するってやばいけど、そんなニュースがあっても理解できる
ここまで書いてどうやって締めようかなってタイミングで今週のしいたけ占いのお知らせが来たので読んでみたら、ぷぷっと吹き出す内容だったので、ココア飲んで作業しよかなと思えたので作業します。おしまい