春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

テリトリーを作った瞬間から責任が生まれる。

まぁ、責任とは何か?って言う疑問はとりあえず置いといて、、、(中動態の世界を何回でも読もう)

一般企業で働けない人たちが集まって会社ができている会社は今の時代多いと思うけど、やり方のベースって変わらないと思っているから押さえておきたい部分は押さえておきたい。と思ってしまう。

でも、もしかしたら本当に働けなかった人はこのベースの意味がわからなかったり、乗れなかったり、どうしても嫌だったり、あるんだろうなぁ…ってのも思うようになって来た。

なってきたんだけど、(言い方はとても悪いですが)障害者の方達の障害者としての誇りみたいなものに対するアンチテーゼがすごい、自分の中の。

そしてそれを弱いものとして存在させる社会の意識も大嫌い。そこに加担している自分のこともこの場所で過ごせば過ごすほど嫌いになりそう。

そうじゃない場所もたくさんあるよ。もちろん、いろんな企業が福祉に関わってきている時代だし、どんどん民間の手が入ってる。私たちだってそう。

 

それでも、世代やしきたりや福祉をやりたがる人の層とかさ、やっぱ偏ってる。ものすごい。

私が今まで過ごしてきた中であんまり出会わなかったタイプの人たち。お金の感覚も作るや売るとか、そう言うものの感覚の違いとかびっくりしている。

福祉屋さんって比喩したりするけど、制度に乗っかって波風立てないようにするとどうしたって福祉屋さんになってしまう。そう言う意味では全体を感じられない誇りなんて今すぐ捨てたい。

 

責任を取りたくない人ほど、テリトリーを作ったり守ろうとしたりする。断言したい。

分断するってことはかけらを持つってことで、一つの塊をたくさんの人で持つよりも、かけらになったものを一つしっかり持たされたほうがかけらの責任は重くはないだろうか?と会話しながら別のことのように考えてしまう。

 

 

私はそんな場所つくらないし、関わる全部の場所を堂々と紹介できるようにしたい。

ステップアップしたい人のお手伝いは全力でやりたいし、それをやることでこっちのステップアップにもなるものじゃないともう残りの人生長くないし勿体無いよな。

変わりたくない人は変わらなきゃいいのよ。私は変わりたいってだけ。

きっと全員そうやって居場所を選んだりしてるんだよね、だから一緒でだから一緒じゃない。