春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

愚痴を正当化するための日記のようなもの。

ふぇーーーーー、ひとやすみ。今日も安定的に眠い。電気工事の立会い中に書く。気をぬくとだらしない格好になってしまう。。

生理になるたびに今回は暴飲暴食しないぞ!!と心に誓うのに、12回のターンの内、2回できれば万々歳。今回はひどかったな。生活リズムの崩れも相まってボロボロだった。チョコレートと唐揚げに頼るしかなかった。

 

↑こうしてどんどん言い訳だけ上手くなっていくのである。そして、次こそは!と誓うのです。※また1に戻る

 

 

ライブ強化月間みたいな数週間が終わって、どれもこれも大事な大事な思い出になった。故に未来のこともしっかり考えたいと思う日々だったりして、これについては改めて残そう。記録に残すための記録を残してるなんて最高に二度手間なんだけど忘れてしまうよりはいい。

 

 

一ミリずつだけど確実に前に進んでいる。切り取りすぎるとバカになる、が最近の合言葉でおなじみの私ですけど、昨日はとっても不思議で心地よい変な一日だった。現在過去未来がぐしゃりと鈍く混ざり合って、全部の過去があるから今があって、抱きしめていても重しにはしなくていいんだって、散々愚痴のように違和感を聞いてもらって整理していく。単純に背負いすぎている。多分、そう。切り取りすぎないことを意識しすぎて全体を見ようとしすぎているような。事実と感情を切り分けつつ戦わせようとしちゃってる。まだまだ拗らせている。早く置いていきたい。颯爽と次に次にいきたい。

下手くそすぎるや。

 

いつも会うたびに自分のできてないところを自分でフューチャーしちゃう症候群に陥ってたのはもしかしたら聞いて欲しいことがあったからなのかも。

・苦しさを細分化するとやるべきことや結果が出てしまう。

・わかりきった話はわざわざ聞いてもらうこともないし、なんなら相手にとって失礼になる。

この二つが合わさった時、話すことがなくなってしまうのだ。

 

世間ではその感覚を「私なんか」と呼ぶのかもしれない。そんなつもりはなかったけど、無意識にまだまだ残り香をこぼしまくっていきているのか。はぁ、なんと。。私もあの人となんにも変わらないのかもしれない。だから変わりたい。く、くるしい。。。

しかもこの感じが結婚してからの方が強めに植えつけられたもの(たぶん)なのがつらいところ。

 

紐解くと色々スッキリしていくんだけど溢れて泣けてくる。結構出してきてたと思うけどまだまだあるみたい。ん、もしかしたら、伝わったと自分がおもえないと消化されないものなのか。欠陥人間すぎる。でも、それでも生きていかなくてはならないのだ。

原体験なんかなくていい。楽しいだけでいいし、気軽さだけ持ってて欲しい。その上で見えないところを見たい。支えている人を支えたい。選んだ役割に乾杯したいな。

 

なんでこんなに不安なんだろうなぁって、理由もわかってるのにな

工事おしまい。もう少しです。