メシアンコンプレックスという言葉を教えてもらった。調べながら上手いこと言うなぁとぐぅぅとなっている。
今朝「アザーコンプレックス」と言う言葉があることを知る。
調べ方を正確にすればきっとどんな悩みにも名前があるんだろうな。
ずっと居場所を作り続けているけれど、みんな自分の場所が欲しいからどんどん「居場所」がなくなる。そんなことを言ってる自分も自分の居場所のために周りの居場所を整えている。一緒か。
ずっと要求され続けてる。でも、要求する方は言ったことすら忘れてるんだよね。
思ったことを口に出して、変わるのを待っている。
でも、それってみんなそうだから、もう誰も言い訳なんてできないところまで来ていると思う。疲れている。考えすぎて疲れている。
いろんな人を見すぎているし、全部繋がってしまう。これは私の癖だ。みんな生きにくいでしょう、そうなの正しい人なんていない。
今朝読んだトイアンナさんのブログを泣きながら読んだ。
パワーカップルや共働きの話に限らず、夫婦、家族、はたまた会社でどう働くかの話でもあるなーと思えたので泣いた。生きるために必要なものとして読んでしまって泣けた。納得しかなかった。
自分の当たり前をどう疑えるか
当たり前には「当たり前」と言う名前がついているだけ。
育って来た環境が違うから違う人間なのは当たり前だよね。までは全員理解できる。多分。
そこからどうやって共に生きていくのか。のステージで初めて問われるんだと思う。
諦めたり割り切ることができる人が羨ましいけど、そしたらとっくに離婚しているし、私はもういろんなものを放棄しているだろう。
その時に特性や障害と呼ばれるものの根源というか正体を知りたい。
本人だけの話じゃないから知りたい。
本人の話って私の話でもあるから知りたい。
私の話は誰かの話でもあるから知りたい。
共に生きたい。獅子座は愛の人なのでこういうところで溢れてしまう(ということにしている)。
勉強を放棄した瞬間死ぬ。
(勉強とは教科書を開くことではないし、瞬間とは時間のことではありません、念のため)