タイム感のズレがあるのは当たり前で、それがどのくらいかどんなペースなら心地いいのか、それを他人に説明するところまでをそれぞれのタイム感と呼びたい。
悪意のない無意識の悪意を何と呼べばいいのか。
路頭に迷った時、ついつい名前を探してしまう。
答えが欲しいよね。考えることは苦しい。
そういう風に脳はなっているのかもしれない。
いや、なっているんだと思う。
それでも知りたいのが私で、それを避けたい人が世の中には多いんだと知る。
説明しづらいことをしているけど説明しないまま生きるのはもったいない。
悔しさや怒りが原動力になってしまうことが多々ある、旧世代の私たち。
だからこそ、ユーモアを忘れたくない。だからこそ美しさを無くしたくない。
それがなかったら誰にでもできることしか残らない。種類は違えど、そういう意地みたいなものをみんな持っていて、だからどんな意地を持っている人と一緒にやるかとか、そういうセンスも見えてしまう時代になっているような。なんて、、早くしっかり堂々と自分はこうですって言えるようにならなきゃ。
恥ずかしい、でも恥ずかしくて発言しないってのも変だし、嫌われても怖がられてもやるしかないんだよなぁ。。。
たくさんのタイム感を持っている人でいたい。自分はこうだからって自分を守るために使いたくない。うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
苦しい、でも苦しい方がやれる。気持ち悪い。全然幸せになれないかもしれない。
でも、こういう人の仕事や音楽は美しいって信じたい。
こういうことを言う人をネガティブと取る人はどのワードに引っかかってるんだろね。
決めつけなくても決まっているものだけ見たい。