春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

祝福だけでいい

できるできないの判断はただの事実であって優越をつけるためのものではない!

 

だけど、疲れていたり自信がなくなったり不安なことを両手いっぱい抱えていると、「できている」「できていない」に意味がついてしまう。勝手な意味づけで自滅してしまう。その瞬間って自分ではなかなか気づけないから、きっと昔の私ってこんなだったのかもなーって思うと抱きしめたくなるのだ。できる限りの事をしたい、ありったけの自分のやれることやりたい。もう、1人で頑張る時代はとっくの昔に終わっている。

みんな強くて弱い。それでいいと思う。弱いときも強い時もある。

なんだか、色々と位置付けるのも疲れている。実際どうでもいいことばっかりだし、正しさを目の当たりにして体力の減りが早いのも感じる。

1人で頑張る時代は終わった、を頑張らなくていいと受け取る人とはそもそも一緒にできないんだけど、それは言葉の意味を一つしか知らないからなだけかもしれないって最近思ってさ。背中を見せるっていうのは大事なことなんだなって、私はそこも頑張りたいな。 あまり構ってる暇もない。お互いそうでいいんだけど、向き合おうとしてくる人は多い。

 

2019年を振り返るなら実験、勉強、研究でした。

いろんな人がいた。いろんな人がいるということがどんな状態かやっと理解できてきた。そんで自分もその中の1人であること。

 

コミュニケーションのための集まりじゃなく、並行していくつもの目的が欲しい。

学びとは、得た知識を使って検証するところまでを学びと定義したい。

中身の質をあげることはマストで、だからこそ それ以外の部分が大事なのだと。見え方一つでどうにでもなってしまうから、見え方を最大限どうなるか考える。

今が一番会社員みたい。

 

選択肢は多い方がいいから、たっくさん勉強するんじゃないのかよ!と回り回って毎日自問自答している 。

あの人がいなくても大丈夫になりたいとずっと思っていたけれど、それだと寂しい。やっぱり寂しい。あの人がいることでもっとラッキーなことが起こる状態にしたい。

今年はラッキーを起こしまくるのだ