春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

隙間の合間のキャベツ戦争

人格が乖離してきている気がするが、長年近くで見ている人に言わせてみれば元々こうだったらしい。近年が大人しかったというだけ。

人生において無駄なことなんてないのだけど(これは本当にそう思っている)、全体図と状況を照らし合わせたその瞬間に見える無駄な作業は絶対にある、と思っているところがあり、そういう時に無駄だって言ってしまうところもある。もちろん場所や相手は考えて発言してるつもりだが。

 

非情なまでにゴールからの逆算型なので《一緒に》作業するとかが向いていない。

これが自分の障害だとも思っている。

ただ、感情ベースも大きな割合を持っている所為かお陰か、他人のストーリーを知れた時それを当てはめて新しいゴール設定を作り直せる。最近いろんな人に紹介される時、会社のAIとか効率化の鬼とか言われていて、自分ではそんなことないのになぁと思っているんだけど、確かにそうなのかも知れない。

機械みたいに情報を組み込みながら生きてきたかも。正しい正しくないとか、良い悪いがあんまりないのもこういう性格だからかも。あと、物理的に距離を取らないとバランスが取れないとかも。不器用の極みか。

 

見事にねじ曲がったパワー系の人格が出来上がったな、と。

自虐でもなんでもなく、本当に。

 

みんなのこともそうやって考えると面白い。みんな生きていて、みんな良くしようと思っていて、力になりたいとか頑張りたいとか認められたいとか、だるいもめんどくさいも持っている。そういうものを持ちながら出しながら、なんとか生きていく術を全員持っているのだ。これがあるからなんとか人と付き合っていけているってものがみんなにある。あるのに忘れてしまうときがあってものすごく落ち込む。

 

そういうのを仕事と分けて見てあげられる人でいたい。

感情とスキルと範囲。働きやすい環境って、居心地がいい環境って、自分で頑張りたいって思い続けられるかどうかだと思う。

そんな場所にしたい。それは自分もそれを求めているからなんだけど。私はそういう職場で働きたい。気持ちの良い透明度の高い人生を送りたい。

決意はだいたい空回りするから小さな気づきでステップアップしていきたい。

絶対に寄り添いながら成功させたいのは、もう一人じゃ何にもできないってわかったからなのだ。

 

と、前半後半で全然違うことを言っているようで後半から前半にいくとしっくりくるとは思いませんかね?それが私が一人の人間としていきているという証なのかも知れません。

 

 

ふーーーー、とはいえ向いてないことはたくさんある。

だけど、向いてない私が良いと言ってくれる人もいて、なんかそういうのに報いたいんだよな。誰にも言えない日記のようなもの