春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

泉のように湧き出る欲望と手を繋ぐ

古い古いマックブックを使っているけれど、少しずつパソコン作業が増えてきてやっぱり性能大事ってところにたどり着く。新しいの欲しいな。

レトロとかB級好きなどのイメージがありその辺誤解されやすいけど、私はめちゃくちゃ新しいものが好きだ。家も新しい方がいい、気密性高いし、掃除しやすいし柱少ないし絶対良い。新しいものの方が生きやすい。デザインは確かに古いものが好きなんだけど、多分デザインが好きなだけで、自分にはそれらを大事に使う能力がない

しかし、そうなるとめちゃくちゃ値が張るのよね。新しくてかっこいいものはだいたい高い。納得もしてる。だって使いやすくてかっこいいものを作ってくれたんだよ。

ほしいと思うものが服もカバンも靴もソフト面でもなかなか簡単には決断できないものばかりになってきているのはお金の問題なんだけど、欲しいのハードルが高くなったので一旦持ち帰り熟考しましょ、というのが自然な流れになりつつあり、物も増えないので断捨離が進む。となる。良かったとする。よかった。

 

 

ずこーんと落ち込んだのが10日くらい前で(思い出してまだ10日か、、、!とびっくりしている。が、生理になって一週間でも長いと感じるのだから10日間は長いな。うん、長い)落ち込んでからなかなか調子が戻らないのは、戻る場所がないからなのかもなと考えている。カフェをやっていた時の安心感を思い出してちゃだめなのはわかっているんだけど、まだまだ解消できそうもない。。特別仲がいいとかじゃなかったけど、私は安心してお任せできていたという事実が特別仲が良いよりももっともっと重要なものとして抱きしめているんだといろんな人と仕事をするようになって気づいてきた。

毎日くっと力を入れて、出勤して、一日覚悟をし続けて、夜は気絶するように寝ている。性格というか自分の特性というか、過敏なのだ。だから立ち上げとか仕組みを作る時の必要なものが人より多い。

そんでこのタイプの人は丸投げポジションに絶対いけないので丸投げする人の投げたものを形にするのも役目なのだ。

先陣切って歩いてくれる人もリスペクトだけど、その中身を作ったり整えたり振り回されながら作ってついて行く人のことをしっかり見ていたいと思ってしまうのは自分ももっと認めて欲しいって思っているから。疲れるとそれが出てきて恥ずかしくなる(自分で自分を褒めているがもっと堂々といたいものです)。

このポジションが一番評価されにくいのは確かなので、そういう人の味方でいたい。

(ポジションだけではなく学べる人全ての味方になりたい)

簡単な楽しいと難しい楽しいどちらも楽しめる人間になってやる。という決意。

 

 

 

生きることは組み立てること。どんなに頑張っても自分を一番大事にしている人はきっと誰のためにもならない。いや、一番大事なのは自分なんだけど、比べたり他人の言葉で自分を一番にしようとしている人の「みんなのため」は誰のためにもならない。

何にもしなくて良い。どんどん自分のことだけやってくれれば良いのにってどうしても冷たい思考が入ってしまう。

褒められたいなら褒められたいで良い。遠回しに、褒めないと悲しむ人いますよね、みたいな言い方でわかってもらおうとするのは、30歳までかもしれない(私も手遅れの部類に入るので経験者は語る)

疲れたりできないことだったりがあるのは当たり前だから、誰の気も使わなくて良いから頑張れなくていいからそれを教えて欲しい。

頑張ってどうにかなる人というのは、どう頑張ればいいか分かってる人だ。頑張り方がわかる人は成功体験を積み重ねていけるでしょう。それはスキルアップを楽しいと思える要素だと思う。 

助け合うときに必要なのは共感ではなく理解だし、理解することでどこをフォローすればいいかわかる。共感でどうにかなる話なら多分問題は起きていないような気もする。共感の本質は多分もっと違うところにあったのに、気づけば肯定の意味で認知されていて、そうなると、共感は上澄みをすくう行為である。

 

物理的な距離でバランスを取ろうとしていてそういう時は大抵落ち込んでいて余裕がない。やってもやっても雲をつかんでいるような感覚。。。

別れたり会ったりしないのが当たり前の家族というものはやっぱり気楽で感謝するべきものだ。でも、もっといろんな人と会ったり別れたりしなくていいようになれたらいいのにって思うけど、それはおかしい思考なのかな。

疲れてる。美味しいものも食べたいしゆっくりお酒も飲みたい、とことん甘えたいし一人でスタジオ入って曲作ったりしたい。これこれっていうバンドもやりたい。

やりたいことは一個ずつやる。やるしかない。

 

 

びょーんと勢いだけで打ち込んで頑張ってるを主張するためだけの日記のようなもの