春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

待合室の緩やかな祈り

 散々だったなーと思いぶつけるように打ち込んだ日記のようなものも寝て起きるとちょっと恥ずかしくなってしまうな。

 

 

あったかくなってくると嬉しい。単純。

お花見したい、散歩したい、緑が濃くなって行く様を喜びたい。お酒も飲みたいしご飯も食べたい。音楽もしたいし好きな人に会いたい。

桜の時期だけは毎年いろんな時のことを思い出している。桜の時期のことだけは割と覚えているように思うな。知らない街の一人じゃ入りにくいお店も二人なら入れるし、誰かを待つ間の時間の愛おしさも知ってしまっている。

ナンバーガールは復活するし、ボーナスタイムのような時間をリアルタイムの人間として過ごせているのが嬉しいな。

と同時に3月の何が何だかの状況について行くのがやっとだったりする。

普段通り過ごせているけれど卒業式ができてよかったことを喜んだり、リーマンショック以上のことが起きてること、オリンピックがこのままあってもなくても影響があること、私たちは生き方ごと少し先のイメージをして作り続けて行く必要があること、今のお金と未来のお金のあり方(使い方かな)をもっと身近でもっと寄り添ったものとして提示して行く必要を感じてる。

やっぱり絶対お金は必要だからもらうだけでも渡すだけでもなく循環するように。循環の定義づけ。でなけれは自分が生きていけなくなる。自分が生きていけないということは私以外の誰かも生きていけなくなる可能性があるということ。私が存在してるってことは相手も存在しているということなのに。

私と同じ人間はいないけど、私と同じ箇所で引っかかってしまう人はいそう。

そんなことを考えながら整える、ひたすらやるを続けてる。

できるだけ手を抜いて、できるだけやりたい箇所はできるようにお米だけは炊くのを忘れないとか、餃子や焼売はストックしておくとか、カレーは多めに作るとか、生活も楽しんで行くぞの意気込みがすごい。

正直、料理が好きである程度感覚でやれるレベルで手抜きが好きで自分研究が趣味でよかったなと思う。会社員をして母親をして主婦は無理だ。暮らしの執着がないタイプで助かってる(それ以外の執着がすごいのでプラマイゼロ以下かもしれないが)

 

 

話は戻るが向井さんを見るたび藤井さんを思い出す。青森行って飲みたい。

まぁ、大事な人たちみんな元気でいてくれたらそれだけでいいんだけどね。

最近実際に知っている人たちが夢によく出てくるので朝目が覚めるとセンチメンタルになっている。元気でいてくれたらいいと言いつつ本当は顔を見たいと思っている。

 

音楽も好きだな。思いっきりやりたい気持ちは当たり前だけどあるんだな。

 

 

あー結局吐き出している。日記くらい自由に書こうと言い聞かせて公開ボタンを押す。