春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

過去のボーナスタイムで生きている。

低空飛行なりの飛び方を習得しつつあるけれど、どうにもこうにも助けを求めたいときはあるよね。

 

 

少しだけ全方位に疲れている。ような気がする。

働きすぎは良くないし睡眠は大事だし休息は必要だし丁寧に暮らしたほうがいい。そうだね、ありがとうって言ってシャッターを閉める。ありがとうを絞り出してから後ろ向きで泣く。みたいな。

そういう時がたまーにある。

 

解像度の違いだとよく言われる。

 

 

少し疲れたの「少し」は心配をかけないための配慮だから、誰かの大丈夫も心配になる。自分が持っているものならなんだって使って必要なものを渡したいけど、自分が何にも持っていないんじゃないかと絶望に向かおうとしてしまう。

 

大人になっても毎日会いたい人はいる。恋愛感情だけじゃないいろんな好きや愛情があるから、それらが全部傍にあればいいのにと願わずにはいられない。

おんがくをもっと気楽にやりたいし、うたったらポロポロと重ねてほしい。そういうものに使いたい。思いっきり仕事もしたいし心惹かれるものだけに費やしたい。

それができないならきっぱり忘れたい。両極端の思考に疲れてるとなりがちで良くない(ほんとうによくない)

 

 

ずっと好きなままの人たちのことを考えるのは、ずっと好きでいてくれる人がいるからなんだなぁ。「何にも持っていないのに」ってなっちゃうから、私はあの人たちのことがなんで好きなんだろうなぁ?って考える。理由が欲しい、自分に自信がない。こんな自信がない人間に魅力があるわけないだろう……って悪循環を始めるので過去を手に取ってすかすかの身体につけていく。

安心してた。私はその人達に安心している。かっこ悪いところを見せても笑ってくれそうだし、落ち込んでるときにまぁ、飲むかって一緒にいてくれるだろうな。とか。

眠れないって言ったら一緒に枕を探してくれそう。

 

とか考えていたら、私が誰かにしてあげたいことは私が誰かにもらったものだったよ。

両親から始まりお友達や先輩たち。好きな人たちからもらったものをただただ渡していきたいだけなのかもしれない。ピュアだな。

 

そうやってまた頑張ろうと思える。不器用だと思う。

割り切れないから割り切れないまま持っていく。死ぬときに笑って死にたいから思い切り生きたい。いつもそこに帰る。

自信を取り戻していきたい。すこしづつすこしづつ。