春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ぱつぱつした心臓

会わないとどんどん忘れる。たぶんどんどん忘れられているんだろうな。

 

寂しい気持ちもちょっとあり、でもそういうのがいいのかもしれないとか思ったり、でもでも忘れて欲しくない人もいるなーってなる。

定期的に会いたくなる人は忘れたくないし忘れられたくない人なのかな。

月と太陽どちらもある

当たり前の話なんだけど、

 

好きなタイプで よく 月のような人、太陽のような人、子供のような人、とかあるけど

 

月も太陽もどちらも持っていることを知っている人が好きだ

 

 

あと、

「あなたのわがままは未来だ」って思う人が何人かいて、そう感じてしまうとその人に絶対服従したい気持ちが止まらなくなる。絶対にわがままを言いつづけて欲しいというか、余計な心配や悪い虫がつかないようにしたいっていうか、仕事を全うして欲しいみたいな感じ

 

 

 

 

今日はてんでダメだったし一日中何かしらの食べ物が口に入っていた。

夜はひたすらおかずを作った。食材をすっきりさせることができて少し安心する。

日々、まだまだ、〜ねばならないって思ってることがたくさんあって、落ち込む時ばばちこーんって落ちてしまうけど、それを知っているだけでもコントロールが利く。

 

明日お弁当つくるのが楽しみだなー

畳んだ布団の上に倒れこんで動けなくてどんどん寒くなる中身体を起こして布団をかける、またはちょっと起き上がりホットカーペットのスイッチを入れる、またはエアコンをつける、などすれば寒さストレスは解消するのに寒い、、、と思いながら一ミリも動けないなんてことがありますか?

私はあります

お塩が効いた玄米ご飯は美味しい

お店の残りご飯を食べながら思った。

美味しいごはんだ。水加減やお塩の量がばっちりだったんだな。

 

 

渡しそびれたプレゼントと共に入ってた(入れた)手紙を読み返すという悪趣味なことをして悪趣味なことをした後の気持ちになっている。

すごく愛に塗れた手紙ですごく手が込んでいて、すごく信じてある良い手紙だった。

 

読んだ5秒後に手動で爆発すると書いてあったのでビリビリに破って捨てた。私らしいと思った。

 

 

 

 

 

 

そういえば、もう12月だった

やっと寒くなったから、カレンダーが最後の一枚なんだって、やっと思えた。

毎日変わる状況をまともに見ようとするとどんどん難しくなる、適度な距離の必要性を感じている

 

 

 

 

コーヒーの入った水筒の管理は各々に任せたい

ミリ単位の違和感の積み重ねは大事な時に威力を増してどうにかしようと動き出す。

 

見てこなかったものを目の前にして、やっぱりだめだ、もうすこし頑張ろう、あなたの信念に付き合おう、など、葛藤が生まれたりする。

 

 

 

私は言うなれば、完全なる営利目的の人生だ。

それが社会活動でもあるし誰かを助けると思っているけど、そこの部分は割とどうでもいい。

でも、どうでもいいのは関わる人の利益を考えることが一番大事だと思っているからだ。それが当たり前だからどうでもいい。組み込まれているからどうでもいいと言ってしまうのかも。

表面を撫でるような綺麗な言葉でまとめられたものは上手いと思うが美しいとは思わない。

スポットが当てられない部分を見たい。

誰かを守ったら誰かは守れない、ひとりではひとりの想像を超えられない。それでも全員守りたい。両方の手に持つこと、みたいなものを好んで選んでいるのかもしれない。

 

 

 

そういえば、私はよく好きなものに囲まれていたい、と言っている

自分でも、ずーっと自分が好きなものだけをそばに置きたいと、その意味で使っていたつもりだったんだけど、そうじゃなかった。

腑に落ちることなんてそうそうないんだけど、あぁ、こういうことだったのかもって思えて もっと堂々といることにした。

 

 

会社じゃなくて企業になりたい。ってよくわからないままよく思っていて、今朝も起きてすぐそんなことを考えている。

 

こんなに個人が生きやすい中で、こんなに個人を存分に個人として主張できる世界で、それを使わないなんてことあるのか。それとも次の一体化への一歩なのだろうか。

 

 

歴史は繰り返す

ほんとうに?