春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

紐解く歴史

一つわかった

 

 

Ca-pもベルパンもカウパーズも好きだけど、

曲作って出てくるメロディとかイメージする佇まいを何かに当てはめるならディスコトーションとかwasとかthe sunとかsource ageとかだった。

と曲を作りながら思った。

「どうりで!」

 

それを札幌感というのかもしれない。

北海道に生まれたってだけなのに、ラッキーだなー

 

 

てことは、そこのイメージを変えればシューゲイザーもできるってことかしら?

 

あれだね、演技してるようでもあるよね。

ライブ中と普段が別人みたいってよく言われるけど、これもそういうことなのでしょうかとかなんとか思ったけど、ならば役者さんってすごすぎだな、という。日々全方面リスペクト。

 

 

 

 

 

いまだにこじらせまくっているのでちょっと変わったくらいでは変わんないのだってことくらい理解して生きているからこそ振り続ける雨のせいにする

どうせライブをやるなら新曲やりたい、って自分で言ったので作っている。

カウパーズとベルパンの話をしたので意識に入ってきたが、私の再現性の低さによりそれは誰にも気づかれないのだ。

魂レベルでの共鳴とでもいいましょうか…(何言ってるの)

 

 

それはとてもラッキーである。

私はラッキーガールなのだ。

(ガールって歳ぜゃないでしょ、どうこうっていうくだりはもう聞き飽きたのでいいです。こちらも人生いくつになったって女の子だよ!なんて言わないから)

 

 

髪の毛切る

サウナ行く

エイジングケアを怠らない

 

37歳って、すごいパワーある。

もしかしたら30歳になった時よりも衝撃大きい。

一瞬、いろいろと恥ずかしくなり我に返った。

 

 

でも、まだまだふにゃふにゃ生きたいので、絶対に流れに逆らいたい。そこだけは。

 

 

まだ36歳だけど!気合い入れ直した

 

 

 

リーガルの靴の歩きやすさよ

ちょっと前に、「問い詰めるは追い詰めるだ」、というような話を聞いて、自分も純粋に興味があることをどんどん聞いてしまう時にあまり良い顔をされないことを思い出した。

普段はそんなに話さないくせに、気になることや知りたいことの時、その人の隅々を点と点が線になるまで聞きたいと思ってしまうことがあって、そういう、私のなぜなぜどうしてに付き合ってくれるおともだちがいるのは人生において救いなんだな。特別だったんだな、と知る。

 

同時に、仕方ないよね、どうしようもないこともあるよね、と言ってくれる人がいるのも救いだけど。

 

 

私は私が選んだものに囲まれて生きている。

 

見たかったら見に行けばいいし、会いたかったら会いに行けばよくて、欲しいものは手に入れればいい。

言い訳してはじめから諦めるのがとても嫌で、ほんとうは誰かのそれを見るのもいやなんだなーお金ないならもっと働けばいいし、働きたくない人は嫌なことしないでお金もらえる方法考えればいいじゃん。汗水垂らして得るお金が本物みたいなこと言ってる人が自分はこんなにがんばってるんだからもっと貰えるはずだ!って声高に主張するのを見ると不思議な気分になる。

 

 

人のせいにしたくない

誰かを傷つけて正しさを使いたくない

って、そればっかりだけど。

 

 

 

好きな人たちに会うたびに、生きててくれてよかったと思う。それだけで、良い。

随分と、感覚的に引きこもっているんだなーと温泉に入って実感した。

 

話すことは怖いけど、たぶん好きだ

下手だけど、たぶん好きだ

 

 

上手な人しか話しちゃいけないみたいな空気をずっと勝手に感じていて、自分を強張らせていた。その感覚は今もちょっとある。

それでも話さなくちゃはじまらないし、楽しくやれるようになりたいので、少しずつ少しずつ。私の基本姿勢は修行だ。

 

悩みのタネだって、遅いとか遅くないとかそういうのじゃないし、繰り返したっていい

 

方法はきっとたくさんある。

それを知れるのはラッキーでしかない。

だから、他人の考えてることを知りたい。大事なものを知りたい。

 

そのためには自分の考えてることや大事にしているものを伝えられるようにしておかなくてはいけない。

 

※①にもどる

 

 

 

俺の楽しみ方はこれだかんな!って見せつけたいので、仕事も作るし曲も作る。

そういう感じなのかもしれない。

 

おわってない、おわらない、ほんとうはみんなどうでもいい

感情に振り回されやすい私なので、さぞかし泣いたりぐっときたり振り返ったりするかと思いきや、ぜーんぜんそんなことはなかった

 

疲れている、が一番。

すごい。これにはびっくり。びっくりするくらい、疲れしかない。すっごい疲れている。

 

それでもサプライズでもらったムービーとプレゼントには泣いた。

終わり感がないのはおわってないからで、でも、お疲れ様とかそういうのでスポットライトを浴びると これは終わりなのか、これは終わりなのかーって変な気持ちになった。

 

 

 

 

終わらせなかったら終わらないから、終わらせてもいいのかもしれない。

仕事も生活も、それで新しい自分になることはないしリセットされることもないかもしれないけど、新しい自分で生きたいと思う気持ちや、繰り返さないと信じる気持ちが生まれるならいいんじゃないかな。とか思っちゃうな。

みんなそうであってほしい。離れたりくっついたりを繰り返せばいい

 

 

他人との距離なんて、試し続けるしかないよね。間違ったら、間違ったんだなぁって思えばいいんじゃ…?と腹を括るしかない。と思っているのでたまに周りのそれが自分かわいいすぎるやろ、、と思ってしまう時がある。

 

 

スーパービール見ながら書いてるから

かっこいいなぁと思う人に藤井さんを重ねているところがある。

全然ないと思っていたけど、あるんだ。って、なんか、なんか思ってしまった。

重ねているのか。重ねているのかもしれない。

 

初恋なのかも。そんなはずないんだけど。

人生を意識して、人として好きになった人は藤井さんが初めてなのかもしれない。

でも、あのころ出会ってくれたみんなそうか。

 

人生は続く。忘れる。

でも、忘れた記憶に救われることがたくさんある。

だから、忘れていいし忘れられていい。

大丈夫大丈夫。

 

 

のぶよちゃんのうたは真っ黒に光っている。光るって決めてる人のうただ

生きてる人のうただ

絵の具をそのまま舐めたみたいな飴玉

クリスマスにもらったお花がまだいきている。

 

 

一月はぎゅっとしまくっている。っていつもだけど。気づけば毎日そうなんだけど。一月はぎゅっとしまくっている。

指は切るしホルモンの乱れはあるし、イレギュラー以外の要素なし毎日。

考え事しすぎてお腹が減らないくらい。お腹空かないからお昼ご飯を抜いて、その分ポテトチップスを食べているからもうくしゃくしゃで、くしゃくしゃできるだけくしゃくしゃしてる。だれか私に食を与えてくれ。

 

 

ベンチで寝る夢を見た。男の子と一緒に逃げていて、彼は怪我をしているんだけど、公園のベンチで眠る時、私は容赦なく彼をベンチの下にして見えないように布で隠し、私は着の身着のままで横になっていて、

あー、へんな夢!って思ってお店に行ったら一緒に働く人が一気に歯が4本抜ける夢を見たって言ってて、へんな夢グランプリはあっさり逃しましたとさ、というお話。

 

 

 

どれもこれも私だから起きてることなんだって、へらへらしながら使い切りたいのさ!

やっぱり絶対忘れてるんだよ

向かいのおじさんの名前が出てこなくなってしまった。なんとか思い出したけど、今日また忘れていた。

そういう人が何人かでてきて、だんだんあれやこれも忘れていってるのがわかる。

 

 

その度に、もしこれが病気じゃなく生きていく上で自然なことなら、私が忘れられてしまうのも自然なことだなと思う。

関わりが無くなったり興味がなくなると、とたんに薄れてしまうのは仕方ないんだ。

 

 

 

ーーーある日のやりとりーーー

 

どんな風にしようか、?

 

昔の手紙を見つけて、それをミュージカルにしたような感じはどうかな?

 

いいねー

 

 

いいねと言ってくれる人がいた。

わからないばかり言われていた日々もあったけど、なんか今はそれも良い過去になった。

わからないと言われて悲しむことはなくなった。あの頃はめちゃくちゃ怖かったのになぁ。

 

 

 

 

紙袋に自分で取手をつけて喜んでいる。

紐を変えるだけでかわいくなる、そしてそのちまちまとした作業をしている自分が好きだ。

作業をする時間を取れていること、想像通り素敵になったこと、小さいけど満足感が大きいこと、とかそういうのに喜んでいる。

 

 

結局やった方が良かった、ってことがたくさんある。休めたーより、やれたーの方がうれしい。泣きながらでもやり切れた方が満たされる。だから、ただ抱きしめて欲しかっただけなんだ。たぶん、ずっとそうだった。

 

まだたくさんの新しい発見が自分にあって、飽きないな。

 

今はリュックが欲しい。リュックいらんやろって手放しちゃったけど、やっぱ一個欲しい。両手空けたい。両手空くのいいよね。なんでもできるもんね