春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ビックマフを踏み続けるマンのエピソード2

ある程度の量のお酒を飲むとちゃんと細胞が破壊されてる感じがしてわかりやすい。身体はよくできている。こんなにも危険をお知らせしてくれているのにどうして我々は繰り返すのか……(諸々のだるさがなくなるまで5日程かかる今3日目)

 

そんな楽しい週末に思い出したこと

 

少し前に、ある催し物でもうバンドをやらなくなって久しい元バンドマンたちが集まる場所に偶然居合わせた時のこと。その日初めて会う人たち、多分同年代くらいで当時聞いていた音楽の話やこの地域のライブハウスのことを教えてもらいつつ流れで自分も音楽をしている(現在進行形)ことを伝えた。テレキャスターを使っていること、うるさい音楽であること……

わいのわいのしていく内に機材の話になり、どんなエフェクター使ってるの?と。

ビックマフと答える。

どんな音楽好きなの?って聞かれたときについ「くるり」と答えてしまう、あの感じで。(くるりもビックマフも好きです)

皆、一斉に懐かしさでテンションが上がっていた気がする。大学時代使ってた!憧れだった!女の人でもつかうんだ!(この辺りで多分好きな音楽が違いそうとわかる)など。

彼らは昔話に新しい要素が加わりとても饒舌になり楽しそうだった。

私も面白かったし楽しそうで何よりと思いつつ、その瞬間自分が化石になったような気がしたのです。

いや、今思えば化石は私じゃなく向こう側ともいえるのだが、大人になってもまだバンドを続けていて、しかもそれで苦悩したりしている自分の方が圧倒的にマイノリティな空間が初めてだったのかもしれない。あぁ、世間と自分が触れ合っている。

普段の生活で自ら自分の話はしないので今までそういう場面に遭遇することがなかったんだと触れ合って初めて知る。人と会う醍醐味だなと思うなどした日

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時は流れ週末、久しぶりにバンドのライブをみる。若い人たち(とは言いたくないけれど実際若いから仕方ないよね)がバンドをしている姿は胸がぎゅっとする。それはライブをしっかり考えてステージに立っている人へのリスペクトだったと思う。

あれ、私はちゃんとライブやれるのかなーってちょっと不安になりながら友人のライブを久しぶりに見る。彼はいつでもゴールがしっかりしている。それに向かっていつでもまっすぐなのが羨ましいしまぶしい。まっすぐなのに視野360℃あるんじゃないかってくらい全方位に気を遣う彼が好きな人たちと音楽をまたやろうと思えてることがうれしい。のびのびと思考を開放して過ごしてほしいなって思った(この感想が親戚のおばさんなのでちょっとアレだけど)

そんな彼がビックマフも踏まなくなって~と歌っていて、少し前の化石だなーと思った日のことが頭に浮かんだ。というお話。

 

 

こういうの、もうインスタとかXにも書かないし誰に話すこともなくなったけどなんか大事だなと思ったので残しておく。こういう小さいことで喜んだりくよくよしたり面白がったりして生きてきてたこと、忘れようとしていたかも。

私のことを好きでいてくれる人がいる、私には好きな人たちがいるってだけでよかったのに変にまじめで変に大層になっちゃってさ。

 

9月はたくさん外で出ていて、ここ数年の自分じゃ考えられないくらい前向き。電車にも乗れるし曲もびくびくしないで作れるようになってきた。でも、出られるようになったのは出れない期間にこんな私を誘い出してくれた人たちがいたからだ。そのまま歌い続けていいんだと、誰とでもいいから音楽を作ってみればいいと、私のことをそのまま抱きしめてくれる人がいるからなの、見えなくなっていた。

 

たかが趣味だけど音楽をやっていること、大事だった。なんかそういうの恥ずかしくて自信なくて全部隠してたけど大事なんだなーって言いたくなっている。

 

あんまり勢いづくと反動が怖いのでぼちぼちとやっていこう、お酒を一緒に飲んで一緒にぐだぐだしてくれる友達については別で残しておきたいのでまた日記を書きます。