春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

死ぬならこんな天気の良い日に死にたい

火葬の日も雨より晴れがいいな。チョコレートばかり食べているので、骨はスカスカかもしれない。思い出話をしてくれる人はいるかなぁ。みんなお酒を飲んでわいわいして欲しい。
できれば、父より先に死にたかった。
 
ほうきとちりとりでゴミのように拾われるのは嫌だなぁ…とか、ぼんやり。


買い物に行ったスーパーで、おじいちゃんが「らっきょうを漬けようと思う。」と話しながらお酢とらっきょを買ってるのを見て堪らなくなってしまった。しあわせな空間で満たされながら強く死を意識して、そのコントラストが眩しくて、私自身、生きてるのか死んでるのか、ここはどこなのかわからなくなった。



自己肯定感なんてもの、これっぽっちもなかったんだって思い知った。
振り返れば思い知ることばかりだった。
何者でもなかった。何かになりたかった、居場所がなかったのは自分だった。必死に食らいついて離れないようにしていたのは私だった。
思い知ってしまった。

終わらせたいと思っていたのは
傷つきたくないと思っていたのは
知りたくないと思っていたのは
重い扉が開かないようにしていたのは

全部私のことでした。



10年ぶんをもらって、死ねたのかもしれない。
すっきりした。からっぽにもなった。
本当に欲しかったものをもらえたのかな。
本当に欲しかったものって、なんだろうなぁ。




離れても大丈夫だと、言い聞かせるんじゃなく笑って話せるようになりたい。
恐怖を払いのけるためじゃなく、明日は晴れであるように過ごしたい。

そしたら、雨の日も好きになるのかな。
壊して作って壊して作って作って壊して作って壊して。


晴れ晴れとしているようで、一枚膜が張ってあるみたいで、
まるで、ジーニアスコードで浮かんだ世界だ。
なんて、おもしろいんだろう。
まだまだ知りたいことがたくさん。だから、生きたい。



あぁ、でも、やっぱり、死ぬならこんな天気の良い日がいいです。かみさま。