春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

美容室に定期的に行くという健康法

頭の中が不安とやらなきゃいけないことですぐパンクしてしまう。気になっていることが多すぎる。人生的にも今一番同時進行でいろんなものを持ち続けているので意識的に「一旦置いとく」を本当に意識的にやらないと押しつぶされちゃう。

まさかこんな急に引っ越すことになると思っていなかったし、仕事がずっと暗いトンネルの中のようなのも初めてだし、まさかのまさか、この年になって推しができるとは思わなかったし、この年で推しの脱退にこんなにメンタルがジェットコースターになるとは思ってもみなかった。喪失感にもう耐えられていない。仕事中もイヤホンで聴いていたい。仲良しエピソードを知り続けたい。だがしかし、知れば知るほど泣けてくる。

そんなまさかの連続に自分自身がついていけていないのである。

というか年々不安が増している、全然健やかに年を取っていません。

 

人生は続くなぁって呟けるくらいの余白をもっていたい

 

生きるために必要なことをコツコツやる。洗濯をする、ご飯をつくる、お風呂に入ったり、布団に寝る。コツコツできたポイントは、明日の自分がサボってもいいと自分に言えるための余裕だ。毎日何が不安なのかわからないが(わかってはいる)毎日過剰に不安がって生きているのでひとつでもできたことを大事に持っている。

人に話したところでだいたいこういうのは相手の話に置き換えられるか気にしたってしょうがないと言われて終わるし実際そうなので、まじで自分の性格を強くする訓練。人生の(すごく長生き出来たら)折り返しに来てもこんなことを考えているので幼少期のあれやこれやとか誰と出会うかとかほんとうに大事なんだね(自分の出会いが悪かったという話ではない)

はじめましての自分の年齢、はじめましての子供の年齢、学校のあれこれ、仕事の役割、ずっと安定しない。変化し続けている。当たり前のことなんだけど、息つく暇がない感覚、他人を気にし続けてしまう性格、うまく頼れなかったり素直になれなかったり。そういう自分を知って、そういうものに理由付けして少しずつできるようになる。なってるといいのだが。

 

くよくよしているとはまた違う。自虐的になっているのとはまた違う。

この年にはこの年の変化があるのを身に染みて感じている。脱皮の前の感じもある。恥ずかしがらずに思いっきり考えたい。どう生きたいのかをね

 

たまにさ、全然関係ない時にもらえるあたたかい言葉が宝物になってさ、その人が苦しい時に支えになれるような人間でいたいと思ってまた頑張ろうとなるけれど、頑張るに戻ってこれる時点で多分自分は結構強い。つよくてかたい。清く正しくいたいと願う人は強くあろうとする。だから固くなっちゃって壊れやすい。

 

たまに貰えるやさしい気持ちは誰かとの世間話だったりで、どんな関係であれ近くにいる人からそんな気持ちをもらえる人は幸せだと思うから大事にしたいし大事にしてほしい。

 

頭のプリンが綺麗になってわかりやすく元気にはなったので美容院の存在は偉大。人はケアされたらうれしいのだよね。一人で頑張んなくても、巡り巡っていつだってあたたかいものをもらえる存在なはずなのにね。いっぱい鎧つけちゃってるな