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春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

なんだったんだ13years

7daysどころじゃない(このくだり、今まで生きてきてなんども使っている)

理想の未来に対してはいつか辛さも報われると信じるタイプの人間だけど、わざわざ傷つくために生きる必要はないと思うし、もう無理だなと見切りをつけるのも、もしかしたら身近にいる誰よりも早いのかもしれない。
自分では、全然早い方だとは思わないのだけど。


絶対に対等ではない。
一緒に、とか
お互いに、とか
思いやる、とか
支え合う、とかも。
どれも、どちらかが正解になる。
簡単に人の所為にできる。
話し方として、それを無意識にやっている人に対して、私はとても嫌悪感を抱くし、できれば関わりたくないとも思う。
そして、私に対してその感情を抱く人もいるだろうなというのも、理解してる。
それでも、想像したい。想像するということを共通点にしたい。


そもそも、そこに過剰に反応してしまう自分がどうなんだろう?という疑問が出てきた。
私理論だと普通でも、一歩外に出れば「考えすぎ」「気にし過ぎ」「そんなつもりで言ってない」の嵐だ。

わかってる。それは何度も聞いた。
ただ、反射的に反応しちゃうだけ。
それが苦手だというだけ。
だけど、それが一番重要であるというだけ。
それが自分だけじゃないこと。
それが一番必要であるというだけ。

トマトが嫌いという人に、毎食トマトを出す友人や家族はいるだろうか?
もし、出すとするならば、そこには克服して欲しい、このトマトなら食べられるかもしれない、という付加価値?気持ち?がついてくるはず。

わかるよ、トマト嫌いなんだね〜って理解を示しながら、食卓にトマトを出し続けるなんて、鬼か悪魔かと思う。
伝えるとはそういうことなんじゃないかな?



ひとつじゃない。
すべてのことがそうなる。
根本の思想があって、数学も英語も国語も勉強する。
答えはひとつなのに、そこに辿り着くまでの点が無数にある。こわい、すごい、細胞が、無限の細胞がひとつひとつ生きている。
考えると身体の中が熱くなって、くらくらしてくる。ストーリーの重なり方を想像すると力が一点に集中してしまう。


それはある意味で歪み続けていた日々だった。


壊れ始めたものをただ何もせず眺めていたら、
雨漏りが始まった家を放置していたら、
どんどん床はびしょ濡れになるし木は腐るし、そこにいられなくなってしまう。
修復しないとはそういうことで、
やれないを選択したのなら壊れることも頭に入れておいて欲しかった。何もせずに治るということは誰かが修復してくれたということ。

どんな時も、前と同じなんてことはない。


欲しいものを伝え続けていたと思っていたけれど、それらを何重にもオブラートに包んでいたみたいで。
言うのが恥ずかしい(できれば言わずに伝わって欲しかった)ことを言って、言った後、ただただ恥ずかしかった。
これで何かが変わるとも思わなかった。
あー、すごくわかったよ。と言われることがたまらなく惨めだったし、
やっと言えた。感もない。


それでも、少しだけホッとしてるのは伝えたという満足感だろうか?深層心理の願いはこれだったのだろうか?嫌だな、汚いな。自分で自分を殴りたいと思う。自分で自分を裏切ってる感覚。
とはいえ、一瞬で沸点まで上がるあの気持ちが私の寿命を縮め続けていたのも確かで。
もう、自分の身を削って伝えることをしたくないと思っていたのも確かなことなのだ。
 
いいんだよ、いいんだよ。
それを認めることで変われることもあるのかな…?
正しいと思っていた私よ、さようなら。って、思う時がくるんだろうか……




日常が、狂気に満ちている世界。
歪んだまま進んで、そのうねりの中を生きている。時代と時代の狭間に両手を入れてかき混ぜたり、すべてを失くして新しいものを作ったりする。
新しいものなんてない。と頭に杭を打ちながら今ないものを作る。今ないから作る。
必要なの、それが必要なんだよ!って叫んでる。それだけを信じてる。


……私は、やっぱりやっぱり、おわりははじまり信者なのです。