春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

満足感あるので起きるという習慣と真逆の生き方

当日は手巻き寿司で精一杯だったので、今日ケーキを買って食べた。

娘と一緒にひな人形を片付ける。ん、いやいや、娘が片付けているのを応援する母の構図。

職人さんみたいだったので、トッポを耳に挟んで大工さんみたいーかっこいい!と写真をとったりするのが母。

 

 

 

 

誠実さを持って生きていれば自然と繋がるものがある、をいろんな場所で目の当たりにしていて、だから自分もそうでありたいと願う。

 

そして、自分はもう時代を作る世代から抜けてしまったんだな、という感覚がすごくある。

やはり、若い人達のパワー、スピード、思考回路、自然さなど、もう見えているものが全然違うんだろうな。それでも普通の36歳よりいろいろ見ようとしてる方だと思うけど、そんな自分でもこんなに実感するんだから完全違うのだろうなぁ

 

これにしがみつくことをダサいとも思っているので、ここの認識できてちょっとよかった気持ちもある(しかし、そもそも作る世代とかを意識していない、意識する必要のない、又は見ようとしてない人には何にも変わらない世界が見えているのかも、かっこいいとかダサいとかないのかも?とも同時に)

 

抜けた世代としてどう作っていくか。なにができるのか、みたいな。持っていくものと捨てるもの、必要なものを見極める力。

一通り落ち込んでミリ単位の底上げ。これで生きてくしかない、の覚悟よ。それをありのままというのだろうか。一ミリでも底上げされてると信じたい。信じて生きてる…!

 

 

 

母親としての自分が死んだ感覚あり。もしかしたら、こういう感覚を一皮向けたというのかもしれません。人ってこれを繰り返すのね、おもしろい。