春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

一気に春みたいになって選ぶ服が10年前みたいだねっていわれた日曜日

昨日買ったカバンをぶらさげていたら2002年くらいの感じだねって言われて(2002年って10年前どころじゃないっすな…)、確かに上着を買った時にはちょっと昔の自分っぽいなと思ったけどカバンは完全に大人っぽいと思って買ったので

他人の印象とか見ている場所って違うもんだなーと思ったけど、カーキのジャケットにからし色のショルダーバッグ、赤いプリーツスカートにバンズのスニーカーと20歳くらいの時と同じかも知れない……。2年に一回くらいガチガチの古着スタイルしたくなるけど、カラータイツもいつまで許されるのかしら。

 

年々よくわからなくなっていく。

というか、今までが意識し過ぎていたのか…。

 

 

 

いつ終わるかわからないし、いつ会えなくなるかわからない。だから誠実に、感謝と共に。

この状況になってより思ってる。

 

脳みそをたっくさん使って話しました。

私と彼は同じことを話していても、ながーい糸を両端から手繰り寄せているように全く別のことを話している感じがして、途中で あれっ?この話もしかして一緒?となることがとても多い。

私は一枚ずつカードを並べながら話をするタイプで、彼はまずザーッとカードを広げてその中から一枚選んで話をするタイプなように思います。幼少時代や思考のパターン、引っかかるワード、現代に置き換えた時の材料、、、

これも研究なんだなぁ、研究しながら生きているんだよね。というか、それが仕事だねー

 

 

 

 

なんだか疲れがどっと出ていて、そういう時は早めに布団に入ります。

よーし、今日からまたがんばるぞー

リングの落とし主を探しています

そういえば、もう会社に守られるとか会社が守るとかじゃなくて、社員に救われる、社員が守っていくんじゃないかなーって(守る守られる雇う雇われる自体あんまり使いたい言葉じゃないけど)

 

それでも会社の一員じゃなくて個人が集まっているというのは強い。

強いと考えるのは私の完全な個人的思考で、個人が個人の元に暮らしをデザインしている様子が見れるのが私は好きなんだと思う。

今は好きなものを「強い」って表現したいと思っているのかな。

どんどんどんどん二極化していって、で、その隙間をまた新しいものとして表して、また二極化して、その隙間を…の繰り返しをずーっとしているような、ね。あぁ、って。

 

 

 

始めることも続けることも辞めることも、どれも尊い。選択した、という事実だけ包み込みたい。

 

 

 

 

 

その線は水平線のver.2がこれまた素晴らしい。

これを聴けるならスタジオまでのドライブも頑張れそう。

だけど、ちょっとへとへとだー運転よー頑張るぞ!

 

 

 

 

大事にする、の仕方

昔の私。精一杯だったけどだいぶ間違っていたかもしれないな。間違っていたというか、大好きな人に大好きを伝わらない方法で伝えていたかもしれない。自分の正義だけ貫こうとしていたような。

 

でもねでもね、誰かの紆余曲折に巻き込まれて、それを10年後にあーだこーだ言えることほど嬉しいことはないなぁ。なんて。

忘れてることがたくさんあったけど、忘れていたからこのバランスだったのは確かだし。ごめんねと それより何百倍もあるありがとうを今ならもう少し伝わる形で昔のぶんまで伝えられるかもしれないと思った日。

 

 

豊橋かー、最近は豊橋にいる必要がなくなったらどこにいこうかな…絶対他の場所を探すよなぁって考えてたりしてたけど、でも、あの当時私の声をあげてでも歌い続けて欲しいと思っていた人が豊橋にはいたんだったと思い出した。

場所はなくなっても人はいて、人がいるから場所にも思い出が付いて来て、だからどこに行ったって大丈夫!って思っているけど、この人と何かをしたい!って思った時にその人と何かをできる距離にいなくちゃ始まらないこともあるんだよなぁ なんて思ったり、時間を経たからこその今だよなーと思ったり、離れてたって会うときは会うようにできてるよねーと思ったり、今日は感情がとても忙しいです。

 

 

すんごい日だなぁ。今日の6時間は日帰り大阪に匹敵する濃さだ。

 

と思った昨日。

 この土地に住んでいること、思っていたよりもたくさん思い出があって、思っていたより深く人と関わっていたのかもしれない(この話はまた別のお話)

 

 

ずっとつづけばいいのに、と やっぱり思ってしまうから

概念になれたらそれは嬉しいけれど、この手に持ち続けられるなら持っていたいよ。

おわらなきゃいいのにな、好きな人とずっと一緒にいられたらいいのにな、、、なくなることは怖くない。終わりは始まり。って、ずっとずっと考えていることなのに

 

終わらなきゃいいのに…なんて思ってしまうのは矛盾しているのかな。

 

 

世界は絶対優しいから大丈夫

 

みんなにも、世界は絶対優しいから大丈夫

余計な心配はいらなくて、私は私を生きるだけ

大丈夫、大丈夫って言ってる。

 

 

 

 はやく髪の毛切りたいなー、ショートヘアのカタログばっかりみてるけど、ボブで落ち着いちゃいそうな予感。

 

 

フェブラリーといえばトミーの世代だし

二月は、こっちに来てからの歴史集大成じゃないの!ってくらい自然な流れで無理せず人に会ったり一緒にお酒飲んだりして、あれ?私死ぬかも?ってちょっと思うくらいです。

でも、2016年の後半も割とそんな感じで、それでも今生きてるから多分死なないけど。

 

 

どちらかというと、出会った人と会い直すみたいな、これからまたよろしくねみたいな感覚。

そんな時のその線は水平線で、ぐっとくるしかなかった。

手放す手放さないとかどうでもよくなっているのがわかる。ダイエットダイエットーって意識してた時と1分間だけ筋トレして好きなものを好きな時に食べてる今も体重も変わらないし。

 

 

って、思えてる今だから残しておく。

 

 

わたしはわたしなのでまだまだみみっちいことで悩むし世界は狭いんだけど、そんなことを考えてる暇もないくらい状況は目まぐるしく変わっているのです。

それは絶望でもあり希望でもあって、私はそれに救われている。

 

人生っておもしろい。

どこにいてもいいし誰といてもいいんだ。

もっともっとそうなるんだね。

 

 

 

世界は絶対に優しいので

何か思いつく時って、追い詰められてる時か余裕がある時どちらかだと思っていて、

ピリピリした時に思いついたものはどんなに誰かを思っていても自分を守るためのものだったりするので、少し忘れて優しい気持ちの時にサービスを考える。

ほんとうに?の確認

ほんとうは?の問いかけ

 

 

ありふれたことばですが、ピンチはチャンスとはよく言ったものだなぁと、今まで何度思ったかな。

 

 

使いやすさをやっとちゃんと考えるようになりました。

忘れものが多いのでやはりめんどくさがって後回しにした時のリスクが大きいのです。

 

手に入れたら使う、が当たり前になるように。