春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

低気圧のせいにして何もしない日を作っても誰も怒らないってば

頭が痛い。痛いというか重い。重いというか鈍い。鈍いというか…
孫悟空ばりにぐぐぅぅと締め付けられてる時あるよね。

生理痛とのダブルコンボ。
というか、今更だけど、こんなに出血しながらよく動けるよなって話なんですよ。
個人的には、生理の期間お仕事休んだって全然なんとも思わない。だってしんどいもん。
ただ、我慢している人とそうでない人がいる状態はよくないなとは思いますが。今回は痛いというより、怠さがすごくていろんな成分が明らかに流れ出ている感じ。身体の生きるレベルが3くらい落ちてる感覚。

あぁ、私もデカビタCが飲みたい……。
自分もだし他人のもなんだけど、日々頑張ってる頑張ってるばかりを見ているとやはりプレッシャーや緊張と常に一緒にいなくちゃいけなくてSNSも見れなくなってしまう。
意識的に離れないと私はまだまだうまいこと日々を過ごせないんだなーって、でも、離れることをしてバランスを取ろうとしてるところは褒めたい部分である。生きようとしてる自分がとてもかわいいなと思う。

あまりの調子の悪さにわーっと書き始めた今日のブログですが、2月の中旬頃からちまちま書いては消してまた書き足してのブログもあるのでこっちも出しちゃいたい。
出してすっきりしたい気持ちがある。

だから、時間軸おかしいですけど、こちらにはなんの仕掛けもありません。
いやぁ、もう、カルテット好きすぎてね。
暇さえあれば、#カルテット #時間軸で検索している34歳です…では!
(そう思うと、私はなんにも34歳らしくない。生きるのが下手すぎる。マキさんが、夫さんのことを、面白くないものを面白いと言って、面白い人だなぁってセリフがほんとうにグサグサと刺さった。あー、私の欲しいものはその面白がる力で、それを持ってる人に憧れ続けている。現実世界でも、ずっと。そして、それを持ってる人と持ってない人が一緒にいるとどんなことが起こるのかも少し知っている。あぁ、あぁ、って。って、長くなってしまうのでこの話はまた改めて…!)


目が覚めて

夢の中でまで、もっと大事にしてほしい!って寝ている人を揺さぶって喚いていた。
でも、顔は散髪したばかりの父の顔で、寝ている部屋も実家の一部屋。
だけど、娘が側にいて感覚的にも話す内容的にも今の状況…なーんのこだわりがあるのかなぁ。そんなに不安なことがあるのかなぁ。。。

日曜は一日中、風邪を引いた時のように寝ていた。(実際はひどい二日酔い)
二日酔いなんだけど吐き気はなく、身体がみしみしと痛くて頭痛だけがひどい。
吐き気がないのはラムネのお陰かもしれない。かもしれないというか、お陰だと信じている。言ってしまえばラムネ信者である。ラムネの効果がこんなにも大きいのにラムネというだけで伝わりにくくなってしまう現実…。
そんな一日を経て(雪景色を堪能することもなく)昨日、おめでたいニュースを聞く。
喜んだりお祝いしたりを繰り返したいな。と思うと同時に、喜んだりお祝いしたりしていいんだ!って。ここのところ無意識の内に喜ばないようにしていた自分に気が付いた。

正しいか間違っているかどうでもいいといいながら、わたしは決めたがっていた。
答えが欲しいとずっとずっと思っていた。


いろんなひとと話したりいろんなひとを見たり聞いたりする中で、わたしはどうなの?っていつもいつも問い続けていて。
ストッパーをかけているのは自分だし、走らせるのも自分なのだなって。
たまに訪れる魔法みたいな瞬間の、あの時の胸の高まりや感動を忘れられないから、わたしはいつもどんな時も魔法みたいな瞬間を夢見て抱きしめながら生きてしまう。
それがある場面では窮屈になったり、誰かを窮屈にしていたような……振り返ってみて思うことだけど。そうだったのかもしれないなって。

変に縛ってしまう癖があって、今もそうなんだけど、本当は逢いたい人にただ逢いに行ければいい人生なのかもしれないなぁーと。思うよ。うん、思います。

文章は手紙だなぁと、最近、更に気軽に文章として出されている文章を読む機会が増えて思いました。
不特定多数の人に向けたものも、きっと書いてる人は誰かを思い出している。その時あった人、景色、温度。未来とかもきっとそうだよね。
その熱を受けて側が勝手に想像して、勝手に感じて、感動したり笑ったりして。

そうそう、文章だけに限らずね。お料理もケーキも音楽も…届いてしまうから、もっと大事にしたいなぁと。もっと、気を引き締めていきたい。気軽に発信することが出来る分、(自分の考える届けたいことは)届きやすいし届きにくい。
でも、届いてしまう。

あー、今書いていて、これかもしれない。と。「届いてしまうし、受け取ってしまう」だ。
楽しみ方より危機感の持ち方が似ている方が一緒に居やすい説は、好きなものより嫌いなものが似ている方が長続きすると言われるあれと同じようなものかもしれません。

(書きたかったことは夢の話だけなので、なんだか本当に駄文になってしまったけど、思いの丈を伝えることを定期的にやるのは自分の考えを整理する上でも必要だ!って考える派なのでよしとする)

新しいホクロができて、また運命は変わるよ

2017年になりました。実家に来ました。そして、もう帰る道。どちらにも帰ると言えばいいのか、戻ると言えばいいのか、来たって言えばいいのか、、、。
あっという間に慣れるけど、居場所があるわけじゃなくて、でも、こっちで暮らせないわけでもない。
かといって、今暮らしている場所にもしっかり距離を感じてしまう。
不思議だなぁ、おもしろいなぁ。どこに行っても宙ぶらりんで、宙ぶらりんの私としてどう生きていくか、みたいなのをやっぱりずっと考えながら生きるんだなぁって。
私はきっと、どこにも属さないまま死んでいくんじゃないかなぁ。
どうせなら、もっとふわふわしたいなぁ。



一緒にいる人が先にぱたりと寝てしまうと、どれだけ眠くても目が冴えてしまう。
昔はこれが大嫌いで、この時間を優雅なひとり遊びの時間だなんて思えなかった。
なんでひとりなんだろう、嫌だな嫌だなーって。
今はそんなことないけど、ひとりにさせられたみたいな感覚が今もとても怖い。
ぐちゃぐちゃに求められたいとか、愛されたいとか、そばにいたいとか、そういうのもここからきてるんじゃないかなって。

ある時、お腹が痛いと言ってる時にお腹や背中をさすらないね。と指摘されて、
あぁ…そういえば、私は小さい時にそんなことをされた記憶がなかったなぁ。と気づく。
私は「しない」が普通で、彼は「する」のが普通。
相手が寂しいと思うことを知ることによって、私にも新しい寂しさがインプットされる。
やっぱり、自分の中には伝えるというワードがしっかりある。
それがないと、何も無いと同じという、私のこれも環境が作ったものなのかな。



万年筆が手のひらに刺さって、手の中に消えないマークができました。
運命が、また、変わるんじゃないかなって思います。

去年は過去と現在を照らし合わせたり、他人と自分の違いに気づいたり、育ってきた環境による影響がどんなものなのかを掘り下げる作業をずっとずっとしてた気がする。
すこし臆病になったかもしれない。これはやりたいことなんだ、と思い込んでやっていた部分があったかもなぁと、1年の後半の後半でちょっと気づいたりした。
私は私をずーっと探していたなぁ。


寂しさはあるんだけど、少しだけ外に出なくなることにわくわくしてる。きっと、とても寂しく感じることもあって、なんで自分だけって思ったりもして。それは自分で選んだことを信じられなくなる時で。
だからきっと、もう少し小さく生きようとするんじゃないかな。そうしようと思ってる。
まだまだ、全部を受け入れることはできない。優しい気持ちだけ持って笑顔でいることもできない。


でも、もっともっと自分のことを信じたい。
信じてくれる人を裏切りたくない。
悲しみをパワーにしたくない。
仕方ないって諦めたくない。

みんな、心休まる元に帰ればいいのだ。
電車の中、バスロマンと同じ匂いの人がいてとても落ち着かないけど、2017年はそんな感じでいきたいです。

また1年お付き合いを。




みかんと氷砂糖を1日1回ひっくり返す毎日

ここ二週間好きなだけ食べて好きなだけ飲んでいたら、きましたきました。胃痛あり。
するすると力が抜けていく感覚。
実はお酒があまり好きではないのかもしれない。いや、好きなんだけど、相性が今いちなのかな…なかなか、昔のように過ごせなくなっている。

それでも、この人とゆっくりお酒を飲みたいなぁという人は何人か居て、わぁぁー!じゃなくてしっとりと過ごしたいなって、身体と相談するとそんな結論に達するのだ。ひとりで飲むのもいいなって。
【身体と相談する】という選択肢があること自体数年前の自分はびっくりだね。
こうやって年を取っていくのかな…
まぁ、でも、好きな人が笑ってるのがいい。そんで、私のことを思い出してくれたりするとただただうれしい。それだけなような気もする。お酒こそ、楽しいしかいらないので、楽しくないなら飲む必要もないなと、我慢出来ていく自分に少しの寂しさを覚えながら過ごしている。


ゆっくりゆっくり、話しながら整理していることが多くて、話して自分を知ることがたくさんある。昔より、話すようになったのかなぁ、なんだろ。話すのが苦手だから話したくない…(と、打ちながら苦手だからじゃないな…、私と話しても相手がたのしくないだろうな…と思うから2人で遊ぶとか女の子とも男の子とも怖くてしてなかったんだ!と。自分なんかが…って奥底にあるんだなー)と思ったり今もするけど、ゆっくりを許してくれるなら話したいなぁと思うことが多くなった。考えると知ることって違うんだなぁと、ここにきて。
あと、想像するより、みんなずっとやさしい。



前回のブログを書いて、それと同時に生活にも変化が起きて、それをどう受け止めればいいのかわからない自分がいて…。となると、これからは「素直にならないことが罪」みたいな新しい悪を意識することになるんじゃないかと思った。優しくされることにまったく慣れていないことが、悪になるんじゃないかと。
愛し合いたいと書いてみて、愛し合うとはどういう状況なんだろう?と。

ひとつずつを掬って覗いて観察してまた元の場所に戻す作業を繰り返している。


「まさか、自分がこんなに疑問を持つようになるとは思わなかった…」
「やっぱり、自分には難しいよなぁ…」
未来を描く人と未来を作る人は違うなぁと考える私は、卑屈になることも蔑むこともなくていいと思うのに、とっても卑屈になってる自分がいるのがまだまだだなぁ。
私は完全に未来を作る人だ。描く人にとても憧れがあるけど、作る人がいないと未来は作れないし、描く人はもっと好きなように描いて欲しい。縦に切ると横に切るだと、役割が変わってきて、もしかしたらこの場所は横の方がいいのかもしれないなと、もうすこしいろいろできそうだなと、今日話していて思って。
でも、その違和感があることでいろいろしたいの反面、この場所には居られないんじゃないかがあって。自分がこだわってるのはなんなんだろうか…と、ループにハマったところに駅ビルの中におしゃれにつくられたお店を見て、
「あぁー、この店がここに入るんだ」
とちょっぴりの羨ましさを持ちながら、自分には何が出来るんだろう…を考える。
会社の規模は?お金の使い方は?企業とは?
私達の目的とは?
もっともっとやらなきゃ、もっともっとつくりたい。
仕事が生きるになっているじゃないか。私も十分そうだよ。

なんか、言い聞かせちゃう。


普通は自分で作るしかないよね。
私の普通。


映画をみるのと同じように、ケーキを作る動画を見れてしまう。美しいなぁ。美しい!
ゴム手袋に腕時計をしているのがグッとくる!って言っても誰にもわかってもらえないんだけど、好きになるポイントってそういうところだよね。
その人のことを知れてよかった。
私は行きたい場所が増えたし、逢いたい人が増えたので。
こうやって、まだまだ夢のような感覚を持ちながら生きているのは幸せなのか不幸なのかわからないけど、刺激をいろんなものから受け取れる人間である、という点においては良いことしかないんじゃないかな。ふふん、へへん。



なので、今日はケーキを作ろう。ひっさしぶりにスポンジを焼いてみる。


何が欲しいのかわかっているのだ



先週は忙しかったなぁ。
と思っていたらもう今週もおわり。何ができてるんだろ?何か残したい…!と考えながら12月を駆け足で進んでる。
なんだか、どんどん今年を終わらせている感覚。



文字だけで全てがわかるなら、いいな。
わからないから、触りたいな。
求める作業も求められる作業も、目が合って照れたり髪の毛をなでたり、そんなのは「女の子」の時に終わらせておくべきだった。
(ストッキングを素敵に履きこなす10の法則、プロローグより)


愛されたい。優しくされたい。
1番にして欲しい、とか、求められたい、とか。
ひとりでいるより、ふたりでいて孤独を感じる方が嫌だ。とか。
あー、それだったんだ。私はただただ愛されたいのだ。許して欲しいんだ。

本当は、それは親に対する気持ちだったんじゃない?と言われてもピンと来なかったけど、私の帰省に対するネガティブさや、家系にまつわるあれこれを思い出すといろいろ辻褄が合ってしまう。無意識の中の意識。ないがある。
私の生き方を彼に話した時も、そんなにびっくりするんだ?とこちらがびっくりしたくらいなので、きっと彼と私の家庭環境はかすりもしないくらい違うのかもしれない。
確かに、私はいつも彼と彼の家族に逢うと、家族だなぁと思う。「これが家族か…」って。
あたたかくもあるし、強烈に他人だ、とも思う。
何も出来ない自分に苦しくなったりする。

こんな歳で子供もいて、それでも全然解消出来ない部分が、考えれば考えるほどこだわりとして大きくなっていって、自分でバカみたいに不安を作り出しているんだけど、どうしようもないのだ。苦しいし。
認めてほしいし、安心したい。
急にいなくなったりしないでほしい。
自分だけをどろどろぐちゃぐちゃでいいから愛して欲しいと思っているのかもしれない。
それは、今、目の前にいる人じゃなくてもいいのかもしれないなって、話しながら思った。
そういう人がいたら、きっとその人だけでいいし、いないなら分散させて自分を保とうと思っていて、やっぱりそうなると倫理的におかしいよね、契約的にそれは違うよねって話になってくる。
そもそも、自分が愛してあげられればなんにも問題ないんだけど……。
あー、、、ここで子宮と会話するとか、自己肯定感の押し売りとか、そういうものに近くなるんだ…!とはた気づく。
なるほど。


新しい生き方なんてない。ただ、何を選ぶかだけなのに、、新しい形を探してばかりいて、ほんと、やれることをやるだけなのに、アカルイミライを想像しようとしてしまう。
わかった風で全然わかってない。じゃぁ、どうすればってところまで、全然いけてない。

でも、自分で選べるってことは知ってる。
選べる場所にいるし、自分が選んでいる。という自覚だけはある。
だから、もうすこしだーって思って、逃げないで考えてみる。



ただ、でも、やっぱり、愛し合いたいな。

セーターデビューした日は安ダッフルデビューの日

12月になってしまった。

冬物を完全衣替えしようと衣装ケースを開けたら思いのほかセーターとカーディガンがたくさんあって、あわあわ。
広げることもできずまた元の場所へ戻して、とりあえず取り出しやすいところへ衣装ケース入れ替え。
なのに更にセーターを、あとダッフルを入手。ずっとシンプルとか大人とかを意識してたのに、なんか…目指せ20代!みたいになってしまった…
そして、冬といえばプリーツスカート。プリーツスカート一択で過ごしたいくらいなのだけど、洗濯するにもした後もお手入れにちょっと手間がかかるので、夏よりもすこし多くの余裕を作らなければならないのが寒さと相まって 好きなのに嫌い…起きたいのに起きられない、触りたいのにこわい、みたいな…なんか宇多田ヒカルみたいな感じ。。あぁ、サンタさん!良いアイロンがほしいよ…それか、ミシン…!




30歳から生きるとは?を考え出すのはめちゃくちゃやばいと言っていたけど、ずっぽり私も30代で生きるとは?にハマってしまったひとりであります。特に今年。御年34歳。
ほんとうに試行錯誤だし、トライアンドエラーだし、一気にうまくいくことなんてないし、それでもやらなくちゃだし。
なんか、もうさ、そうでしかない!ってなった。




強烈に女でいたいのに女性に対してとてつもない嫌悪感も持っている。
男の人と対等でいたいと思う反面、圧倒的な差を見せつけて欲しいとも思っている。
誰のものにもなりたくないのに、誰かに支配されてみたいもある。
絶対に平等ではない。ゼロイチ思考とはまた別の(と思いたい)極端な脳みそ。


影響されてなのか、大きな流れがそうなのか、どちらにせよ、今の自分がまたすこし明確になったような、見方を変えたようなそんな感じ。
ひとつずつ、こうならいいなぁを形にして、それを誰もが使えるようになる。する。
誰も敵ではない。そうなのにな。


四井さんと家入さんの話をこの数日間の間に聞けてよかった。
地方創生も故郷も同じだな。
真逆の場所にいても同じものを作ることはできるんじゃないかな。
生きることを想像している人がすきだ。
そして、それを実践している人。




ウイスキーに紅茶のリキュール入れたののんでいる。ロックで。
ぺろっとなめて、とろんと甘い。


やっぱり冬は円グラフのイメージだなぁ