春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

待ちぼうけの合間に日記のようなもの

水道屋さんがこない。。。2時間待っててこないので今日はもうないかなぁ。

 

職人さんや専門職の方を私たちはついプロだと思って崇拝してしまうけれど、もしかしたら昨日始めたばかりの人かもしれないと言う可能性があることを忘れてしまいがちです。

ここ!テストに出るくらい重要。

そうなのです、現在どの業界も人手不足、若い子は転職にそこまで抵抗がない→人材が育ちにくい、、、となると経験の量で知識やノウハウが増える場所としては圧倒的に弱い。それに気づかずマニュアルがなかったり現場主義を続けている会社はどんどんレベルが下がって行くし、業界全体がそのままだと取り残されて行くなーと実感した。

 

 

思考能力の差と言うか、イメージできる人が何のプロにもなれると思っている。

困りごとが解決できた時のイメージ。どこを助けて欲しいのかのイメージ。

どんなお金の使い方をしたいのか、何を大事にしたいのか。。もう、どの業界も専門職じゃなくなるのかな?と思う。

私たちは暮らしをデザインし続けるのがお仕事なんだ。生きることが豊かになることが目的でそのためにどんな手段があるのかを教えること、そのお手伝いをすること。

だって、どんなに技術があってもイメージできない人は提案できない。

できれば一緒に喜びたい。

お仕事を頼む側に回ることも多いけど、その時でもそう思うなぁ。

いつだって関わってくれた人とは共に喜んでいたい。

 

 

と、とっても勉強になりました。

必要なことと必要じゃないもの、それを選んだ自分をどう生かして行くのか。

 

 

 

 

お腹空きすぎていたのも落ち着いたのでラッキーだけど、あーー、でも、この3時間で保健所と市役所行けたなぁと思うとやはり勿体無いな。時間は限られている。

 

ふかふかの台湾ドーナツ

日曜日、思いがけず濃い休日になった。

土曜の夜も含めるとかなり贅沢な週末。

 

出して整理しているので出したものは少しづつ整理されている。はず。

 

大体にして、私は何をするにも罪悪感を持ってしまうタイプで、いつもいつもそこだけはクリアにしたいといつもいつも考えているんだなと何回目かの改めてわかった。

お金も時間も食べるものも自分のためだけに使うことをなんとなく後ろめたく思ってしまうのは、家族になってからの働き方や収入が自分だけじゃどうにもならないことが起因してる。お金や幸福に対する価値観の違いはバキバキに心が折れる。これはそれぞれ育ってきた家庭環境の影響がかなり大きい。かなり諦めがついてきてるけど、まだまだなかなかうまいこと消化できないでいる。

価値観が違うことというより、お金や生活することは24時間密接すぎて相手のそれを受け入れずらくなってしまう。すっと応援できなかったり、距離を取ろうとしてしまう。結局自分が頑張るしかないのだからわかってもらおうとか何かしてもらおうとか思ったところで無駄なんだってなる。生き方のスパンが長かったり、優先順位が違っていたりすると起こる。

そして、「父親だから夫だから」とかが本当に一切ない人なのもだんだんわかってきた。冷たいという意味ではなく、そういう基準で動かない人間。やってることは父親らしくても判断基準がそれではなく、結果そこのゾーンに入ってた感じ。

これに関しては私が母親であることや妻らしさというものに無いなりにも囚われている身であるので余計に気になってしまうのだ。しかも最近気がついたことなのでまだ誰とも共有できていない。

まぁ、男性ってみんなこうなのかもしれないけど、私は他の人と一緒に子育てをしたことがないし、話したところで男の人をもう一人の子供と思え!とかみんなどこも一緒だよ。とかそういうただの慰め合いになるのをどうにも楽しいと思えないので話すことはないんだろうな。

※でも、↑そういうことを言われてするりと諦めがついた経験もあるし人生はわからないことばかり

 

あぁ、すごく面白い。いや、現実には全然笑えないことばっかりなんだけど、面白いことにするしか行きていく方法がない。自分の特性と彼の特性がぶつかった時、壊滅的に合わなすぎてものすごく悲しいし諦めがいがあるなと思う。

これを乗り越えたらまた一歩悟りに近くのだ。やはり親鸞より空海派なのである。

 

 

 

 

 

 

自分の機嫌をとる。が一番大事。

ほんとこれに尽きるんだけど、お母さんってなんでこんな全部の統括しなくちゃならないんだろね?それで新しい事業立ち上げて他部署のフォローしてるなんてすごいよね。

全然なんにもやってなくない、すごいやってるぞ。落ち着いて〜

 

 

昨日買った台湾ドーナツ、買えたことで満足させる力があってすごかった。

トクマルシューゴは美しかった。バンドというかチーム。すごいよかった。

パワーを粋に使えるようになりたい。

 

 

 

安定は面白くない。

でも、面白いことをするためには安定が大前提。

「安定させたくない」には「安定させること」も含まれている。

安定させないためにはまず安定させることを目指すのである。

 

趣味も仕事も人生全部この感じなのだが。

 

 

 

 

 

ここまで書いてやっと少しだけ落ち着いた。

ふー、泣いたり書いたりしてやっと人並みだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15分間チャレンジ

如何にもこうにも落ち込み続けてる。気力振り絞る感じ。

でも、もしかしたら、ただの、熱中症かもしれない。ひょー

物体のように運ばれながら、自分で自分のことを違う場所へ連れて行く。

変な日本語だけどそんな感じ。

 

 

10年を振り返ろうとした時、私には母になったことと、娘の成長と、仕事のことと一言で表せないものを一気に持って生きていた。

まぁ、表すならば子供と共に過ごしている9年は一人で自由に生きていた27年を昇華させ続ける期間みたいな。別人みたい。別人にするやり方しか知らなかったともいう。とはいえ、私以外の全員から見たら私はずっと地続きの私で、これもまた苦しかったように思う。あぁ、なんと一言を見つけてしまった「修行」だわ。好きだな。。。

やっと今は全部自分だったなーと思えてきてる。完全にではない。思えてきてる。

随分と下手くそだけど、どっかで「今」に追いつくのかなー。

 

イースタンユース2曲聴いたので、しっかりやるぞ

 

仕事だったら良いという歪んだ価値観

 

今日はたくさんやることが詰まっている。当たり前だ、月曜の祝日と火曜の休み分が水曜日に入れ込んでくるのは当たり前だし普通のこと。

みんな1日は24時間しかないし、一週間は7日しかないもの。

 

 

健康がいいなと思うようになって2年くらい経つけど、忙しいとその優先順位をつい下げてしまう。健康を意識しないと雑な炭水化物ばっかりのご飯になってしまうし、麦茶を持ち歩くのもめんどくさくなるし、栄養ドリンクでカバーし切れない何かをカバーできた気になってしまう。睡眠は優先順位がさらに低くなり、寝るギリギリまで極限で切り替えも出来ていないので起きても極限が続く。。。。という構造。

書いてみてやっと、「まずいな」と思えている。ずっと、ダメだなーと言いながら何にも変えようとしていなかったことに気づく。そういえば、畑のお野菜は採れた時に食べているけれど、野菜を自分で選んで買いに行っていなかった。もやしくらいか。

夜ご飯もみんなで食べられて楽だなーと思いつつ、自分は座って食べることをしてなかったし、良い面もたくさんあって達成感はあるけど、生活する力は落ちているのかもしれない。

そもそも優先順位で考えたときに、こども(たち)→夫や会社の人たち→自分なのでまずここで低いんだな。まぁ、これは気にしたことがないけれど、関係はしてくるからどうやれば各わたしがもう少し満足できるかを考える。

 

書き出してみてそういうことか!となり、打ちながら整理する。整理できるとどこを気をつければ良いのかわかってくる。

あぁ、よかったです。せめて発見できたのなら、落ち込んだかいがあったってものです。

 

 

私も夫も生きる能力が高いけど低いのでもう概念を広げ続けるしかない。

それに先に気づいていたのが彼で、やっと気づいたのが私ってこと。

 

 

なんにせよ、全く持ち歩かず開くことのなかったパソコンを、今こうして使っていることがすごい進歩。ぜーんぶ勉強しながら進めてて一番今頭使ってるわ。

 

ユートピアは作れる、血は流れる

という自分で作った台詞が好きです。なんてことはない。私はいつだって作る側に回る側にいる。

 

 

虚無感が襲ってくるのは劣等感か捨て切れない何かか。なんかもうよくわからないまま不安100の風が吹いてきた。

毎日、「何にもできてない」「いやいや、よく見て!ちょっとずつできてきているよ」を一人で繰り返してる。

 

 

はー、すごい。明日が怖いよう、、ひとりじゃないのにひとりだーってなる。

全部死ぬときには楽しい思い出にしたい。まぁ、楽しいんだけど今日は不安100だからさ、うん。

 

死ぬこと以外かすり傷とはよく言ったものです。

 

 

もうこじらせてる場合じゃないというか、本当に年下。。。20代の子達の素直さや特別な理由などなくても動ける感じが羨ましくて羨ましくて羨ましい。

大人になり切れずここまできてしまった自分が恥ずかしい。この繊細さを大事にもしたくない。確かに繊細さを持っていることで起こっているいろんなことはあったしあるけど、それはもう特別ではなくなってしまった。普通に楽しくもっともっと自分が必要なくなりたい。

 

 夢のようだった。とかも思わないで済むくらい日々に溶け込みたい。

 

もっとドロドロしたの書いてたけど下書き保存されなくてよかった。

頑張っても頑張っても終わらないし、頑張っても頑張っても認めてもらえない感じがある。まぁ、認めてあげるのは自分だし、独り立ちできるようにこれまた頑張るだけなんだけどな。

 

 自分には頑張るしかない!って言い聞かせてやってるけど、私以外のみんなにはそこまで頑張って欲しくないです。できたら楽な道を通ってもらいたいし、甘えたまま生きていて欲しいし、抱きしめて少しでもほっとするなら誰のことも抱きしめたい。

 

多分、私がそうされたいからなんだと思う。

だから、いつもぐっと堪えられる。わかりやすいね。自分のことも人のことも大好きだから、みんなかわいいです。夢のような時間を過ごせるのはいつだって遊んでくれる人がいるからなのですよね。愛しい人よ、どうぞお元気で!

セプテンバーレイン

土日は役所やほかのお仕事の方がおやすみなので、月ー金の五日間にぎゅーっと詰め込むことになるのだが今日はなんかもうくしゃくしゃだった。今週は忙しくなるよ!としいたけさんに言われてなければどうにかなっていたかもしれない。

水道工事だったのに買ったシンクは合わないし(出直してもらった…)、娘は調子悪くなるし(めずらしい、本当に本当に珍しい)、お昼までに納品締め切りのものもあるし(結局来月だったから、脱力したが持ち直し。かなり前倒しで出来てる)、倉庫リノベの打ち合わせ(難関!)と、午前中はこんな詰め込まれるか?ってくらいだった。

打ち合わせ中にシンクが合いませんーって連絡来たときはちょっと泣きそうだったけど、朝にとてもうれしい連絡があったからテンション保てた。ひとつひとつ諦めつつ謝り倒してなんとか。

 

仕事を一緒にするって、一緒に未来を考えるってことだと思ってて、わたしには自信を持って人に紹介できる友人がたくさんいることが誇らしいなと改めて思った。

私も私の友達たちから見てそうありたいと思うし、もっともっとしっかりと良いものを作って自信を持って声を出していかなければと気合いが入った。なんでもそう、なんか信頼関係にはリスペクトがないと。みんなに感謝してる。

 

こんなに頑張ってもやっとスタートラインなんだーって鳥肌たって絶望しそうになるけど、それをやった人にしか見られない景色というものは絶対にある。

 

 

基本は楽しい。獅子座は修行が基本思考だから苦行は進んでやるタイプ。今からスタジオじゃ!

足音のままに世界は造られるのよ!

隙間の時間に吐き出してくぞ。楽しむ時に必要なのは無視すること。

ビビりまくっていた役所の方々はめちゃくちゃに優しい。取り越し苦労とはこのことである。ただまだまだやることあるし、職人さんの現場主義思考について行くので精一杯。自分のやれなさをまざまざとごりごりと自分に打ち付けている感じ。

 

 

 

差別する人は容赦なく潰すぞって感覚。平等や公平な世界なんて絶対に訪れないとは思うんだけど、差別は絶対に駄目なこと。障害があろうがなかろうが年をいくらとっていようが投資してくれてる相手だろうが関係ないの姿勢で噛み付いたりしてる(よくない)

 

 

自分の分身を作ってはならない。

自分以外他人。他人の人生。そう言う点では母に大感謝です。