無理をしたい時に無理できるように他の削れるものは削れるだけ削って。
トータルの持ってるものは変わらないから、使いたいものにできるだけ使えるように他を抑えたい気持ちが無意識に強く出る。というかそもそも必要ないものは見えていない可能性がある。そこが冷たいと思われるところであると再確認。でも、超合理的主義、って生きているみなさんみんなそうじゃないのかな?
みんな自分の思う幸せに対して超合理的主義じゃないの?だから判断したりするじゃ?となるけどどうなのかな。
彼は宇宙人らしい、ということはきっと向こうからすれば私が宇宙人なんだろうと。
まぁ、そういうもんだよね。きっとどれも、一人では生きられないと知るための道具なんじゃないかなーなんてさ。
木曜日に一日寝込むところから始まり今日まで怒涛の数日でした。寝たり寝なかったりパキッぱきってチャンネルが切り替わるように、目が冴えてしまう。反対に眠すぎたり。
とにかくたくさん人に会いました。
よく話しました。
イベントでのご飯をこれでもかと作りましたし、イメージをまた一つ形にしたケーキができました。酔っている人が倒れないように支えながらライブを見ました(終わってから対バンの方に介護のお仕事か何かされているんですか?と質問あり。でも、明日は我が身だしあれが普通です)
奇跡が起きて二日酔いもなく(こういうところで奇跡を使ってしまう貧乏タイプ)東京に行ってきました。
思い出は過去なんですが、その人たちと今も会っている。進んで続けてきたからこそ会えている。一緒にバンドをしたりお酒を飲んだり心配されたり心配したり年月を愛でたりできる人たちがいる。
好きな人を好きで居続けられることってどっちの努力もないと成立しないなぁと思うので、尊さもあるし喜びでもあるなって。
あーー、もっと、私は私の好きなものを作っていいんだ。この週末のおかげでここ2年くらいの自信のなさや自分を信頼していない感じが少し離れてくれたような…気がした。気がしただけでまだわからないけれど。グッとくる瞬間があるんだよなぁ。
私はもっと、私が良いと思ったものをただただ粛々と作りたい。どこかに届くかもしれないんだ。誰かに渡せるかもしれないし、何より自分を救うよ。ただただ作ることが生きるってことなのかな。
ずっとバンドやりたかったんだなーって。誰かの負担にならないように、自分が惨めにならないように一歩離れて見ていようとしてた。私にとってのバンドは美しいものだ。そこだけはずっと変わってなかった。
また逢えるように!と気持ちが強くなった夜。
ライブに行ったからこんな気持ちだけど音楽やってようがなかろうが、「私はこれです」と言えるものを持ってまた逢いたい。
さくらんぼで飲むビールがこの世で一番おいしいビール!
私はほんとうに とってもラッキーだ。
ぽかっとできたひとり暮らしの時間は野菜という免罪符を掲げながらたいへん暴力的な食生活になっております。もやしだからって許されると思うなよ?的な?
しかし、この状況さ、まるで過去にケリをつけにいくみたいだなって思ってしまった。
そして私は私にできることをただ粛々とやり続けるだけなんだね。
〜まとまり知らず駄文を垂れ流すスタイルでの日記のようなもの〜