春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

有言実行したから自信を持って書く日記のようなもの

昨日は保健所に行き手続きして朝から万引き家族を見る。

見た

 

つらかった。途中で出てしまおうかと思った。

ちょっとだけ、見なきゃよかった…って後悔した……

終わりなんてない物語に終わりを作って形とする。みたいな。反応で人間のストーリーを知るみたいな、そういう映画だった。

主題歌みたいなものがなかったのがありがたかった。全然終わりじゃないから。

だから終わらせてくれてよかった…が感想。

安藤サクラさんがとてもきれいでどきどきした。

 

 

家族ってなんなんだろうな

何日か前にぼんやり思ったこと。個人的には血の繋がりとかまったく関係ないと思ってる派。なんだけど、自分には血の繋がっている娘がいて、いるってことはそれはもう家族以外の何者でもない。いくらでも家族になれるけど、家族じゃなくなることはとても難しい。

ひとつも他人事じゃないから苦しくなったんだって。ほんと、ひとつも他人事じゃない。

 

 

 

 

 

 

映画とは全然違う話だけど見ながら思い出したこと

 

子供の未来を想像した時に親は自分じゃない方がいいのかもしれないと思うことがある。でもそれを口にするとそれはありえない発言になって、あなたが一番必要なのよ、お母さんがいなかったらかわいそうとか、そんなような返答が来る。個人的にはそれを「ありえない」と言ってしまうそれこそが狂っているんじゃないかと思うことがある。

自分のカルマを断ち切れないまま(気付かないまま)大きくなって、そこで一緒にいるだけでどんどん影響を吸収する人間がそばにいて、それに危機感を感じている……って割と正常じゃないかな。それに気付けるのって「真っさらにうつくしいこどもといる状態で」 だからだと思うし。だから、そこからがすごく大事で、大人だってそこから育てばいいんだよ、、ってずっと考えてる。それは、私が未熟さを痛感しているからかもしれないけど。

それと同時に夫婦や仕事、友人関係とか、個人で生きている時はカルマを痛感するというよりそれも糧にするものとしているような気がした。カルマが栄養になる時間。カルマのもっともっと奥の、、、「染み付いてしまったカルマ」。

問題として出てくるのって、この染み付いてしまったカルマだって、最近よく思う。

染み付いたものが染み出て気づく機会がそうそうないんだ。ここにきて、思ったこと。

 

 

 

 

 

まぁなー、この状態の時にみる映画ではなかったかもしれない…!映画を観た後のどうにも地に足がつかない感じを一人で噛み締めてる時間は嫌いじゃないけど、少しだけ誰かと話したいなと思う。

 

それにしても、安藤サクラさんがとても素敵だった。少々苦手意識のあるリリーさんが気にならなくなるくらいに素敵だった。ナスの揚げ浸しも作ったし良い休日でした。