大晦日は落合陽一まつりのマイツイッターで、年が明けて朝生にて落合陽一からはじまった2019年
空気の停滞デモンストレーションになってしまった、というのがすごくわかるし、朝生っていつもデモンストレーションでしかないかもな、、、とも思い。
あの方の草の根活動っぷりは職人だ。やってることを全員にわかりやすく説明するのも大事かもしれないけど、たぶんわかりやすく説明したところで専門用語が出たら耳を塞ぐ人は沢山いて、、、わかりやすくすることのかわりに存在を世に出し続けることを選んでいそう。だってわからない人に説明したところで意味ないんだもん。役割が違う。
専門性について思う。勝手に想像して好きになっている。
こうやって、「落合陽一が好きな人たち」を集めても好きなポイントが違うんだよ。
それを一括りにするなんて乱暴すぎるよなぁ、そういうとこだよなぁ、などと改めて思う年末年始です。
ちなみに同じような要素ですきな人はいきものがかりだったりする。
どこに行くわけでもないので話す相手が一人しかいず、ずっと脳みそが固まらないように相手の意見を聞きたくて仕方がない日々を過ごしている。
●今興味があること●
↓↓
同じ属性の中でも分けられるタイプ別行動
多様性のリテラシー
ギブアンドギブの精神とは
個人の楽しさの追求と実現性
beの肩書きについて
属性からの役割分担
私や彼の出来かた
音楽に対する考え方
ひねくれると尖るの方向性の違い
全体と自分
目的と手段の効率と合理性と同居する個への祝福
ふわっとしたものから得られる効果
とか、ぱっと見意味がなさそうなことをぱっと見喧嘩か?と思われたりしながら話してる。
私にとっては未来でしかないのだけど。
【今の私を分析してみる】
仕事ややらなくてはいけないこと、スピードが欲しいと思ったことに対しての動き方が非情なほどそれでしかないという部分があるくせに、否定されたような第一声にめっぽう弱い。
自分のどうでもいいことでは死ぬほど悩むくせに(本当にね)、割と慎重にいきたいと周りが思っていても、自分の中で道筋が見えてるといやいやなんで悩むことあんの?と言ってしまうのが最近。言い方はもうすこし、もうすこしだけやわらかいと思う
それこそ極端で思い込みが激しいけど、責任をとる覚悟だけはしているという話。
でも、その責任をとるって気持ちさえ持っていれば割となんでもできるんじゃないのかなーって思っている。そこまで自分ができる人間でもないし、せめて心意気くらいは。的な。
責任を取ると言っても、実際はもっとたくさんの人たちが関わっていて私ひとりでやることなんてないし、作業を分解したら難しいことはそんなにないし、責任なんて大袈裟なものはひとつもいらないし。
・地元に住み続ける人と移住してきた人で外国人に対する考え方、どんな企業が幅を利かせているかでどんなルートを辿ることが良いとされているかとか、思ってはいたけど改めてやっぱりすごく違うことを実感している。
地域性や属性でまとまる感覚をいまだに受け入れられない部分があるというか、受け入れたくないというか。其れと、「前提条件をどう使うか」を両手に持っている感覚。
良かったのは、違いを見せられ続けた結果、私は違いがどんどん知りたい人になったということ。
これは、この場所にいたからだし、この仕事をしているからだし、子供がいるからだし、私が負けず嫌いだったり逆手に取りたいと思っている人間だからである。
いつも言うけど、結婚してるかしてないかはほぼ変わらない(子供ができたことで私はそう思うことにした)けど子供がいるかいないかはある意味両極である。
脳のプログラムを変えざるを得ないみたいな。
そういうのが起こり続けて、別人になった自分が今も変わらないなぁと思っていることはなんだろうなぁって。
ずっとやっている音楽も、気持ちの部分では随分違うものになったように思う。
この強い好奇心や妄想力は出し続けた状態でしか生きられないなと思っていて、そのためにどんな仕事の仕方なのか誰とやるのか?
自分で作らないといけないのか誰かが持っているのか
なーんてさ!それぞれの思う楽しいや好きをただやってくれという思い。やらないことを人のせいにしないでくれーというお話なのかもしれないし、役割を全うした時どんな世界が見えるのかを見てみたいと思っている
パズルをつくりたいのかもね
今年もまとまらない日々を積み重ねていきます。どうぞ、お元気でいてくださいませ!