自分のことは自分が一番よくわかっている。
長く一緒に過ごしているから一番の理解者だ。
一つだけでは多すぎる話。
留まる ・果たして一つの場所にい続けることは本当に成長に繋がるのか
福祉業界 ・就職のハードルが低い。利用する側される側、どちらに対してもセーフティネットとして機能している(?)
救いたい ・↑の通り。人を助けることはいいこと=その業界にいるだけで価値のある私。賃金の低さも相まって尊い職業、敬わなければならない感じが出ている。それを自覚している人が多いような気がする
助けたい、救いたいは結局自分のためではないか?それは寂しいと表現してしまっていいのだろうか。似たような感覚。集まりやすい。
ナチュラルな差別
自覚のない症状
大体の鬱は二次障害であるとした時に見えてくる仮説
元々の賃金が低いと「頑張ってる」が評価基準になりがち。
体力的、精神的にきついと言われる仕事は声を上げやすい
時代とミスマッチ
家族(的)経営の本質
ファミリー感の認識のズレ
個人に対応する能力
ルールとは?
ルールを決めたくない人の心理
責任と意志
責任とは?
誰でも新しい文化に触れた時に拒否反応を起こしてしまうのは仕方がなくて、次のターンでどれだけ聞けるかだと思っている。けれど、一回で判断してしまう人は多い。しかも、相手のせいにして。
誰もが障害者である。これを絶対だと思っている(絶対とは私の信じる研究として必要な絶対)障害者と健常者の境目をつけてしまうことこそが一つの障害かもしれないし、できないことを自覚することができないことも一つの障害である。
人は忘れてしまう
人は信じてしまう
悪と正義があると思ってしまうし、戦ってしまう
ただ伝えることができた時、それは感情などの世界から抜け出した選択済みのものになっている。
誰かの言葉をネガティブと判断した時、それはあなたのネガティブの幅を周りにお知らせしていると同意である。
変わろうとしてる人のことを邪魔する人はまじ許さんという気概