少しある器用さを自覚しているので、
●あー、それなら私できるできる!
●これはたぶん私がやったほうがいいやつだな
●〇〇やってくれませんか?(ここまで回ってくるってことは誰も他にいないのか、まぁたぶんこの中で一番ふらふらしてるんだしやるか)
とかで結局全部やってて何屋さんかわからなくなってる。
器用貧乏と負けず嫌い故の、
なんとか形にできちゃうし、ちょっとできるともっとできるようになりたくなるのが発動してて今はまじの修行してる感じ。
最中は無我夢中だけど、ふと立ち止まった時になんだろーなーって思ってしまう。
他人と比べる瞬間がまだある。できなーい、つらーいって投げ出してみたい。
声を上げられない人というか、声を上げるタイミングがわからない人の声も聴き続けたいな。
できるから平気 じゃないもんね。多かれ少なかれしんどいことはあって、それは多いからつらいとか少ないから大丈夫って話じゃないのだ
何回も思うけど一つのことだけやるのは楽だねーとほんとうに思う(もちろん続けることの大変さを前提にした話)
カフェだけやってたの、しんどいけど自分の居場所として機能してたし、マニュアル化しやすいし、多少は腕に自信あったし、自分で選んだスタッフさんと働けてたし、そういう部分も含めてめちゃくちゃ楽だった。
楽ってことはマッチしてたんだと思う。
行き当たりばったりが苦手すぎる
計画しないことをカオスと呼ぶのは違うと思うけどそこに私が混じった状態はカオスであると言える。
でも、計画しないことをカオスとは呼びたくない。
美しいものが見たくてケーキとアイスクリームの写真集借りてきた。
完成って絶対しないから完成させないといけないんじゃないかな。終わらないから終わりを作るとか。この感じ、なかなか伝わらない。
めちゃめちゃ胸がきゅーっとなるドラマを見ている。それで精神を保っている。