春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

四月は否が応でも新しい世界を見ようとしてしまう

(4月4日)一年が、またはじまった。
2月くらいからなぜかとてもバタバタと忙しく、「年度末だからかな…ならば3月やり切るぞっ!」となんとか3月を終えたものの新年度に入ったところでそのバタバタは解消される訳がなく、「新年度だからね、4月頑張らねばー!」と言っていたら頑張りきれずにダウンしてしまいました。
まぁ、ダウンできる時にしといたほうがね、そのお陰でこの先のしんどい時にも踏ん張れる、やっていけるという説もありますしね。

話はまったく別の方向に向きますが、見ている世界が違うとはこういうことなのか?ということが何度かあった。いや、ある。いまも、なう。現在進行形で。
なんとなく、力になりたいなと思っていた(いる)人や、とても近くにいる人だったり。しかもそれをひしひしと感じるようになったのがここ何ヶ月かで…というなんとも戸惑う展開。
自分がなんとなく変わってきてるのかな?も、あー、なんだか変わったね。もあって、どちらがどうなったのかなんてわからないけれど、むしろ今まで変わらないと思ってた自分よ なんなの!って感じだ。

変わり続ける。環境も生活も出会う人も影響されるものも。そんなのは当たり前のことだった。またどっかで逢えればいいかなくらいのきもち。

で、いたい。
いたい(理想)
そうだったはずなのに、忘れてたのだろか?
もっともっと捨てたい。もっともっと抱きしめたい。

他方向から見つめることは苦しい。
可能性が全方位にあることは自分の立ち位置を変えるだけで全てが変わることで、だからこそ、選んで決める。でしかないというか。
最近そんなことをずっと考えていて、それを話すようになった。彼は彼で私を分析する。
それを話すようになって、会話が生まれるのかもしれない。

不安定さが周期的なものじゃないとわかった時、また解決方法はかわって次はそれを試す時。まだ大丈夫。自分の研究をしながら生きている。


生活は穏やかではない。
生活は命懸けだと思う。
私の生活はそれでいいのだと思えるようになったことが、穏やかに近づいたってこと。