春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

終わりは始まりでしかないのだ

数日前に見た友人のライブがめちゃくちゃ良かった。未来しかなくて泣けてしまった。覚悟の顔をしていた彼がとてもかっこよかった。

今が一番のピンチかもしれないし一番悔しい日だったかもしれないけれど最後というのはただのおまけだと思わせてくれる美しい時間を見せてくれてありがとうだった。

    

 

たくさんバンドをやっていることで自分の首を絞めてるなーと思うこともあるけど、どれもその人たちとしかできない時間を作って過ごしていると思うことが増えた。なんて贅沢で上質な時間なんだろう。やればやるほど濃度が均一になっていって、それは薄まるというよりは質が高まっている感覚。

 

先輩方とやっているバンドは悪く言えば内輪と言われてしまうものだけど、こないだのパーティーは抜群に良いメンツだったし楽しいにちゃんとかっこいいが入っている。それをみんなが楽しんでいて媚びない空間があった。

そしてその数日前はソボクの忘年会。お酒を飲むだけじゃなく音も出したいねっていってくれる大人がいることの心強さがある。

 

音だけじゃなく、生活も持ち物とか選ぶものにその人が現れるのがいい。

それを知ることは私の人生の豊かさの一つになる。

仲が良いってどんな状態なんだろうか。

コミュニケーションは大事だけど、コミュニケーションを取ることが目的ではない。

全員世界の真ん中にいつもいる。

だからこそ、存分に生きている人のそばにいたい。

そう、コミュニケーションが目的ではない。子供を遊ばせるのが目的ではない。親がゆっくりするのが目的ではない。その先の豊かさを目指すための通過点。

通過点としての居場所。全部使い方。

理解されなくてもただやるだけ。