性の話やお金の話がもっとオープンなものになればいいという思いがなんで生まれるようになったのかというと、子供に受け継ぎたくないからなのかもしれない。
記憶からなくなっていたことを思い出したり、嫌悪感を確かめたりするのは未来のためなのかも。自分がショックだったというよりそういう人間に誰も出会って欲しくないし、ましてや身内の存在が子供達の将来を潰す人間になってはならない。
子供には嫌な思いをして欲しくない。それ一点。
そう思うと自分含め本人がどんな印象か、と その人の発言は切り離して考えることをしたい。
言葉は言葉として、動きは動きとして、その瞬間をその瞬間として。
3時。めちゃくちゃ眠い。でもやらないきゃいけないことがたまっている。
信じることと期待しないことは両立できる。
一つづつ終わらせて、焦らない。しっかり進んでいるからね。