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春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

まだまだ80デニールが大事なお友達。全部出す日記

ウォーキング中 土砂降りにあたりびしょびしょマラソンになってしまい、服だけ脱いでちょっと休んだらお風呂はいろう〜ってそのまま寝てる…という……100人いたら100人に自業自得と言われる方法で風邪っぽい症状に(深夜に目が覚めるも布団を自分にかけることで精一杯)。
このまま寝ちゃ絶対にダメ!と背徳感を感じながら眠りにつくのは、きっと最高に脳は気持ちよかったのではないか…?などと、会話する余裕もなく慌てて朝の準備をするのが割と常です。

嫌われてもいいから好きと伝えたい。には、不安や心配のフィーリングがあり受け入れて欲しいというニーズがある。のかなー
あー、自分をそのまま、主張、とかも?
過去のトラウマみたいなもので片付けるのはやめて欲しいと思いながら、やっぱり過去を抱きしめてあげられてないのかな?って辻褄を合わせようとしてる。
過去に目を向けてから(というか、向けざるを得なくなってから)それはもう沼の中をかき分けて光を探すような終わりも始まりもない作業をずっとしていて、してる中でひとつ思ったことは、過去を今に繋げてるのも自分であるということ。答えなんてなくて、答えは出すものなんだと。そう思った時に、光が見えた気がするのです


男の人のどこに惹かれるかって、多分かわいさなんじゃないかな…と、15も上の人たちと飲んでいて、酔ってほっぺにちゅーしてる夫婦を見て、ライブを一番前ではしゃぐ人を見て、ちゃんと「嫌い」って言える人と話してて、この街は君と一緒の方が楽しいと伝えてくれる人に対して、漠然としていた「好き」に輪郭をつけられそうな気がする!って思えてきた。

男の人のかわいい部分って弱点だったりすると思うんですがどうでしょうか?
女の人ももちろんそうだけど、女の人は服装や髪型や体型やそういう本人から発せられる魂には変わりないかもしれないけど、でも、なんかしらで繕えてしまうものにも当てはまるので、男の人のかわいいの方が本気度が高いというか純粋度?純度?密度?そんなようなものがぎゅっと詰まっていて宝石みたいだなーって(私が男の人をかわいいと思う時がだらしなさや弱さ、理性が本能に勝てない時などによく思うので)。
それをかわいいと思える私の回路もやはり愛おしいし、それが私にとってのうれしいことなら、なにも悪いことなんかないじゃないか!って、結局ここに戻ってきちゃうんだよね。というお話は2月の中頃に考えたこと。


で、こないだの週末をずっとずっととても大事にして過ごしていて。
叶わなかったこと、嬉しかったこと、諦められたこと、進むための力を手に入れたこと、愛しさに愛しさで返すこと。
2日間にどんなことがあってどうだったかをうだうだ書くと薄っぺらくなってしまうので大事にとっておくけど、いや、そもそもなんにもなくて自分の中での出来事だったのだけど。違和感を手放そうと決めていた日だった。すっきりさせるんだって。だから、すっきりした。無理矢理かもしれないけど進みたいんだよーって、私は私に訴えていたよ。もしかしたら、誰かを傷つけたかもしれないし、がっかりさせたかもしれない。でも、私は生きたいんだ。
いや、生きるって何なの?って疑問はまた別のお話であるんだけど、いろんな選択肢を作り出して試してみることをしたくてたまらないというだけのことなのです。ね。
この話は、いつか、誰かとゆっくりお酒でも飲みながら話せたらいいな。


2016年は誰かの正しさに必死に応えようとしていた1年だったなぁと振り返ってみて思った。これもだめなの?これも?じゃぁ、これは?って、引き出しをひっくり返してすみのすみまで探して渡せるものを渡した。つもり。
そんなことを続けていた(自分の中の感覚では、そう)去年の終わりに片足を突っ込んだ頃、むくむくと「生きたいー、ものすごく生きたいー!」って感情が湧き上がってきて……。なんか、置いてきぼりにしてるぞ。私は私を置いてきぼりにしてるんじゃないか?って。自分なのに自分が引き裂かれていく感覚があった。
このままじゃ幸せになれないんだ。誰かを笑顔にすることはできないんだ、って気持ちがうわっと飛び出してそれはそれで抑えきれなくなって。それは今も続いていて、正直戸惑うことも沢山あるけど、今は戸惑いながらもこの気持ちを大事にしてみたいって強く思ってる。
だいたい、私は今まで「生きたい」と思ったことがなかった。多分、なかった。生きてることは感謝とかとは関係なく生かされていることで、死ぬ時は死ぬんだなって思いで行動していた気がして。生きる覚悟というより、死ぬ覚悟があったんだと思う。死ぬ覚悟があるからなんでもできるというか、どうせ死ぬ時は死ぬんだから死ぬまで生きよう…みたいな感じ。自分で死を選びそれを実行することが私にとっては最終手段で、それを自分の意思で行うことはとても怖い。怖さが何よりも勝ってる。だから、生きてる。
そこに意思はなかったかもしれない。


いつだったかも思ったことなんだけど、やっぱり、「使い切りたい」。
私は私を使い切りたい。
それぞれを生きて、たまに持ち合おう。
それを愛と呼びたい。