春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

細胞が喜んでそれから死んだお話

6月も忙しかったーと振り返った気がしますが、7月もなんだか毎日動き回ってます。反動からか予定の無いお休みの日はひたすら家にこもっていて、あそびのない車みたいな活動の仕方をしています(アクセルとかブレーキとか、言いますよね。あそびがないって。あんな感じです)。

ぼくらの勇気未満都市からLOVE LOVEあいしてるを見て身体中の細胞が1度起き上がって、終りとともに死んだような気がしました。テレビ的に、きっと私の年代は今のターゲットになりやすいのもあるのかもしれないけど。
松潤がボーダーにオーバーオールを着ること、小原くんがテレビに映っていること、キンキキッズのふたりがふたりでドラマに出ていること、オタクの表現が一昔前過ぎたこと、金田一と銀狼も入れ込んできたこと(最終的にドラマを見た感想は「なにこれ?」だったんだけど、あの軽さと生温さが良かったのかもしれない)。続きのように吉田拓郎が出てきて、私達は「本当に出るんだ!吉田拓郎が出ている!」となったし、篠原ともえに感動した。トークの仕方、絡み方、振る舞い全て昔のままを意識してパッケージングした時間に、過去を精算せざるを得なかった。私の細胞は死ぬしかなかったし、これからの未来を生きましょうと約束するしかなかった。
私達は選んで生きることができる。
選択肢を増やすことと、選んでも良いということ。
昔と今が違うのはそこかもしれないなぁ。ふと、結婚のことを考えた時に今だから思える考え方として思い浮かんだことがあったのですが、結婚したくなったのはずっと大事にしていたからなのかもなーということです。私にとって、結婚するってとても大事なものだったんだと思う。「紙切れ1枚で何も変わらないんだから籍を入れちゃえばいいじゃん」とよく言われていたことに、何も変わらないなら必要ないんじゃ?と思い続けていたのはそういうことだったのかもしれないなぁと。
大事すぎて、だから、結婚したくなかったのかも。
それを乱暴に使ってしまった感覚が少なからずあって。理由はどうあれど。未熟さや選択肢のなさも含めて。後悔してるというより、大事にしていたものを乱暴に扱ってしまった自分自身に、もしそんな気持ちを持っていたならごめんなさいと謝った。


そして、これもここ数日でわかったことなんだけど、子供の話をする時に身近なひとに父の姿をうつしてしまっている。もちろん、自分にも。
シュチュエーションが似れば似るほどそうで。当たり前なんだけど、そういえば、最初から父と母は父と母だった。私は父と母のひとりの人間の面を知らない。全く知らない。父は父親として、母は母親として生きていた。苦しい時はあったのかなー、自分が全然できないので母ももしかしたら?って考えてみたけれど、母は割と母っぽかった。
比べて父の方が喜怒哀楽が激しかったし自分の力(父親としての権力)を使う場面が多かったと思うけど、私にはそれが普通だったから違和感がなかった。怖かったけど不器用さは好きだった、一生懸命さを尊敬していた。母が専業主婦のまま子供達を大きくしたことは、今に当てはめるととんでもないことだなぁと思うし子供は学校に行かないし家は燃えるしいろいろあったなー……(あれあれ?思い返すと問題があるある家庭だったんじゃないか説が…)
父は突然死んでしまった。理由もわからない。病名もわからない。わからないまま受け止めてよしとすることがとても苦手な私が、初めてわからないまま受け止めてよしとした(今も出来ているのかわからないけど)ことが父の死かもしれない。
こんな深夜に思い出しておいおいと泣いてしまうのは、死んだことが悲しかったというより父のことがすごく好きだったことを思い直したからだと思う。
 

話しても話しても伝わらないことが苦しくなってそれ自体を諦めたくなることがある。
割とある。
優しさとか幸せとか言われてもピンと来ないのは、それが後からついてくるしかないとおもっているから。幸せになりたいからこうする、ってやり方をしたことがない。
それで幸せなの?って聞かれてもわからないし、人生なんて結果の積み重ねでしかないんじゃ?って、なーんか冷たく思われているだろうなぁ、今  という場面がちょこちょことある。


合理的、美しさ、お祝い。
合理的、美しさ、お祝い。


細胞も死んだけどiPhoneの画面も死にました。
ここから生まれ変わるのだ。
私のためじゃなくて、私を好きだと言って欲しかっただけかもしれない、いつだって。