春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

全て放り出して美しい場所を求めたっていいし、宝物だと思い込むことだっていい。

ダウン中。からのゆるやかな上昇。



ごはんをぼーっと食べてるときに周りの話し声がくっきり聞こえてきて、その後どんどん遠くなっていく感覚にたまになる。誰かの噂話も会話になるのかぁって、私はあんまり誰かの話をしないから話すことがないんだな、とか。
数日前の些細な出来事がたぶん引き金。
助けて欲しいって、思ったんだな。
私を助けて欲しいって。
わっとなってもろくなことがないなー、ってことだけわかった。一クッション、一呼吸の癖をつける訓練。
どうにも世界が遠くなる。切り取ることが好きなのに切り取られると怖くなる。

なんともなんとも。


何かにも書いたけど、私はひとりが好きなんだけど、ひとりだと廃人コースにすぐ乗ってしまう特性があるように思います。
これを人は、鬱と呼ぶかもしれないし、なんらかの障害と呼ぶかもしれないし、だらしがないだったり育ってきた環境がとか子宮の記憶が…とか、いろんな言葉に当てはまるし私の言葉にしか当てはまらないものと一緒に生きていて。それを個性と喜んだりする場合もあったり。
私自身、様々なパターンを想像して遡ったり未来を描いたりしていたし、している最中なんですが。
なんですが。


掃除をするって良いです。掃除をするって良いですね!
達成感の塊になれる。最近気付きました、こんなにも(一瞬ですが)穏やかな気持ちになれるのか!と。自分の好きを散りばめることを気にせず出来るようになった自分を褒めたり、一歩も家から外に出なくても良い時間とすることができる。家の中もキレイになる。ゴロゴロしてても後ろめたさがない!(これがひとりだとダメになりそうと思う要因のひとつでもあります…)

自分だけの世界とは自分が思い描く未来だなぁと思っていて、1cm角の小さな小さな空間だとしても、それを持ってることが自信になる。そんな感じで家の中を作っているような気がしています。
誰かと一緒に生きているからこそ、自分だけの世界を持つことが重要なことに気付きました。
しかも、それは小さい小さいもので十分だった。十分なような気がする…どうだろう…?






ゆらゆらと歩く彼を見つけるのが好きだった。きっと、ゆらゆらと歩いてくれていたことで 私はニヤッとできていたんだなぁー

(研究は続く)